403.承認(中編)(2009.1.19掲載)
生理的→安定→親和→承認→自己実現。マズローの5段階欲求4段階目の「承認」について、今号でも2つの事象を取り上げる。 1955年〜73年 高度経済成長 東京五輪と大阪万博の成功に自信を得た日本人は、高度経済成長という錦旗を掲げ、モーレツに働き始めた。現代の労働基準局が見たら気絶してしまいそうなエコノミックアニマルぶりが、日出ずる日本を支えたのである。 その成長の中心は、自動車、電器製品などの規格大量生産型商品。単一民族である上、校区制の成果で優秀かつ画一的なモーレツサラリーマンを輩出した日本の義務教育制度が、これらの産業にフィットしたのだ。 このような、「明日は必ず良くなる」という成長期においては、成長集団に帰属しているだけで、「承認」の欲求が満たされるのではないか。モーレツ時代は、「親和」と「承認」が同義なのかもしれない。 そして、新・三種の神器である自動車、クーラー、カラーテレビを購入することが、お父さんの「自己実現」だったのである。 1980年〜90年 マイナーコード 宗教学者の山折哲夫氏が、「茶の間からマイナーコードが消えて、いじめが増加した」と語っていた。マイナーコードの暗い曲を聴くことで弱者の気持ちがわかり、助け合う心が生まれるというのだ。 経済発展とともにCMも童謡もみんなメジャーコードの明るい曲になった。明るい曲は強者の曲。弱いものを思いやる気持ちは生まれない。 マイナーコードのおすすめは、サントリーオールドのCMソング「夜がくる(Cm)」。 「ダンダンディダン シュビダディン オデーエーオエーオー」 もの悲しいメロディーの先に、もの悲しい暮らしが投影され、自然と自身の驕りを正す。 童謡も然り。「通りゃんせ(Dm)」「赤い靴(Am)」「母さんの歌(Em)」など、おどろおどろしくも暗い曲を聴いて育った人間は、「なぜ暗いのか」「何があったのか」と、考察と思いやりの感性が醸成されるに違いない。 思いやりは弱者に対する「承認」である。自身も弱者になる可能性がある今日、マイナーコードの消滅は思いやりなき勝利至上主義時代の到来を意味する。 勝ち組のみが「自己実現」を得る社会のほうが、マイナーコードの童謡よりもはるかに暗いのである。
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