66.説明書についての一考察(2002.04.30掲載)
パソコンは機械か道具かという議論がよくある。機械だと拒否反応を示す人も道具だと思えば気軽につきあえるわけで、この分類がアレルゲンになるかどうかの境目ではないか。作家の浅田次郎先生は自著の中で、「説明書がないと使えないものは機械、説明書がなくてもだいじょうぶなものは道具」という判断基準を披露されていた。たしかにこの基準はいい。ハサミは紛れもなく道具であり、高度な分析機器は購入後しばらく説明書が手放せない機械として鎮座する。 パソコンには分厚い説明書があるものの、まず読まない。よってハサミと同じ道具ということになる。なのでアレルゲンにはならない(メール攻撃に疲弊し過敏症気味ではあるが)。携帯電話はどうか。これも説明書なしで使えるが着メロを入力する時は説明書を少し読む。だからケータイは道具のような機械かな。 食品の世界ではどうか。通常、食品に説明書は不要だが、最近だしの取り方がわからない人が増え、花かつおのパッケージ裏面には、たいていだしの取り方の説明が付いている。しかし、消費者に気軽にだしを取ってもらい、だし取り人口20%からの浮上を図るためには、やはり説明書なしで使える状態にならなければいけない。 健康食品もそうだ。説明書がないと効能や用途がわからないようだと薬品の分野になってしまい、売りづらいし買いづらい。つまり、「EPAはコレステロールを下げる」とか、「納豆は血栓を溶かす」といったような、ほとんどの消費者の方が共通の認識としてその用途や効能をイメージできる、そんな「みのもんた的」健康食品が理想なのである。 説明書やマニュアルが氾濫し、食品の裏面表示が異常なほど詳細化する今日、能書きなしで気軽に利用できる商品のみが生き残っていくのではないだろうか。 先日、母にたのまれ、ドラッグストアで瓶入りブルーベリーを買った際、同商品の前で購買を躊躇する初老の女性3名に声をかけられた。 「あらお兄さん、これ買うの?」 「ええ、目にいいですから」 「若いのに大変ねぇ」 レジに並ぶお三方のかごには、ブルーベリーが一個ずつ横たわっていた。
|
column menu
|