103.芸術食縁起(2003.1.27掲載)
お正月に団十郎に睨まれると、その一年大病をしないという縁起に吸い寄せられ、厄年を間近に控えた身を清めに歌舞伎座へと足を運んだ。今年は歌舞伎400年ということで、1月の上演は豪華に「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」。市川団十郎の助六である。 予習をかねて、1月2日にNHKで放送された舞台中継をビデオで3回見ていたが、いいものは何回見てもいい。ストーリーがわかっていても、笑いのツボが刷り込まれていても、そこには華があり感動がある。不思議だけどこれが芸術ということか。 とすると、古典落語もクラシック音楽もすでに分かっている内容を楽しむという点で芸術であり、そこがスリルとサスペンスと流行を楽しむ一発モノの娯楽と異なるところではないか。逆に言えば、世俗的なドラマやコントも、何百回という上演に耐えれば芸術の域に入るのである。 これを食に当てはめるなら、何万回食べても飽きない芸術的食品は言うまでもなく米である。主食だから当たり前だが、こんな食品他にはない。しかし、八十八の手間を経て日本の糧となる芸術の将来は暗い。毎年5000人が新米医師として世に出る今日、専業農家を継いで新米を育てんとする後継者の数年間500人。こんな瀕死の米づくり、農林水産省ではなく文部科学省が文化として保護した方がいいのではないかと思ってしまう。 そんな祖国の明日を憂う歌舞伎座の帰り、東京駅のコンコースをうろうろしていると突然青いロープが引かれ、「ロープの外へ出てください」。あわててロープをくぐると、後方のVIP扉が開き駅長に先導された皇太子ご夫妻が登場。にこやかに手を振りながら新幹線ホームへと向かわれた。ほんの十数秒のタイミングで変わらない日本を拝謁できた幸いに前厄落とし完了。 変わらないもの、守るもの、芸術、文化、あっぱれ日本。
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