1035.おせっかい(2021.9.6掲載)
大阪人のおせっかいは筋金入りだと思う。 コロナ禍以前の大阪鶴橋。地下鉄の券売機前で、駅員に対し凶器らしきものを振り回す男性に遭遇。騒然とする乗降客の中から1人のおっさんが凶器男に近づき、「兄さん、バッグ落としてまっせ」とセカンドバッグを拾って渡していた。 命がけのおせっかいを平気でやってのける大阪人はすごい。 対して、東京秋葉原。セーラームーンに女装した中年のおっさんが、笑いながら路上を闊歩するも周囲はクールに完全無視。当然私も関わりたくはないけど、田舎者根性でチラ見。 この大阪おせっかい気質が何に起因するのか、江戸時代にさかのぼって都市文化を検証してみた。 その1.武士の少なさ 江戸は人口100万人で、そのうちの半数が武家。対して大坂は人口42万人で武士はわずか2000人。武士の少なさが気軽におせっかいを焼く文化を醸成したか。 その2.大坂は牛 武士の多い江戸は、手間のかからない豚を飼育した豚文化圏。対して大坂は牛。世話を焼かないと育たない牛が、おせっかい気質を育んだか。 その3.だしの聖地 食い倒れ大坂の食文化はだし文化。今でこそ「粉もん」や「ソース」に集約されがちだが、大坂の料理はだしの風味を前面に出す薄味料理。かつお、さば、 あじ、うるめ、昆布、椎茸とだし素材の種類も豊富なだけに、食材の物々交換なんかで、おせっかいの機会が多かったかもしれない。 その4.昼にご飯を炊く 商人の町大坂の朝はいそがしく、昼にご飯を炊いて翌朝は前日のご飯をお粥にして食べる。江戸は出仕する武士や職人が弁当を持参するため朝ご飯を炊き、夜は冷や飯をお茶漬けにする。朝ご飯を炊かない大坂では、前日に食べ尽くしてしまって朝に「もらい飯」という、おせっかいのやりとりがあったかもしれない。 以上、勝手な推測ばかりであり、間違いがあればご指摘おせっかい大歓迎なのであります。
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