1065.ツクシの卵とじ(2022.4.11掲載)
爽やかなこの季節が巡ってくると、寺山修司の「われに五月を」を諳んじたくなる。 きらめく季節に たれがあの帆を歌ったか つかのまの僕に 過ぎてゆく時よ 二十才 僕は五月に誕生した 僕は木の葉をふみ 若い樹木たちをよんでみる いまこそ時 僕は僕の季節の入り口で はにかみながら鳥達たちへ 手をあげてみる 二十才 僕は五月に誕生した そして、ツクシの季節が終わり、寺山作品「土筆と旅人すこし傾き小学校」という句とともにツクシの卵とじを食べ納める。 祖父母と同居していた我が実家において、ツクシの卵とじは典型的な春の家庭料理だった。石手川の土手沿いに群生するツクシを採取し、夜なべで袴を取ってアク抜きして卵とじ。貧しさの中にも味わいのあるおふくろの味だった。 ところが、小学校に入学して最初の給食で出てきたのはクリームシチュー。 「なんじゃこれは」 自身の食生活データベースに微塵もない味、香り、食感。ツクシの卵とじと対極をなす乳臭い西洋の味。外食することなどほとんどない時代、見たことのない西洋料理を目の前にした私は完全にフリーズした。 「先生、食べられません」 当時の給食で「おのこし」が許されるはずもなく、当然のようにポツリ放課後の食卓となった。涙も出なかった。 今でもクリームシチューが喉元を通過する時には必ずあの光景がよみがえる。そして、誰にも気づかれないように暗い思い出をゴックン飲み込むのだ。 最近では、逆に古典的な和食を食べたことのない児童が増え、給食で和食メニューを出すとおのこしが増えるという問題が発生している。ツクシの卵とじ、おいしいのにね。 「すこし傾き小学校」というフレーズが学校給食の課題を暗示しているかのようだが、いまこそツクシを給食で広めたいと願う和食給食応援団なのである。
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