1081.ミルクキャラメル(2022.8.1掲載)
幼少の頃、夏休みになると母の実家がある四阪島に帰省していた。瀬戸内に浮かぶその小さな島は、島全体が会社だった。 明治時代に住友金属鉱山が銅の精錬を目的として拓き、7百戸の社宅とともに小中学校、郵便局、病院、銭湯、生協、お寺や神社などがひしめく住友村を作り上げ、昭和30年代には4千人が暮らす町となった。 夏休みに十日ほど母と暮らしたのは一労働者だった祖父の社宅。5世帯が連なる長屋の一角にあり、部屋は6畳2間で台所は土間。トイレは共同だった。 不便この上ない島の暮らしだったが、コミュニティーのすべてを閉じこめた空間は不思議な小宇宙。キラキラ輝く朝焼けの海とともに始まるアドベンチャーな日々は、今も胸に焼き付いて離れない。 日が暮れてからはいつも祖父にくっついていた。昔かたぎの祖父は、あぐらを組んで、キセルをふかし、日本酒をちびり。一度聞いた事があった。 「大人になったら、タバコやお酒が美味しくなるの?」 祖父は、ただニコニコしながら私の頭をなでるだけだった。 そんな祖父が生協でいつも買ってくれたのが、14粒入り30円のミルクキャラメル。泳ぎに行くと包みを解いて、なぜか海水に漬けて食べさせてくれた。 「そのままやと乳臭いけんね」 絶対そのままの方がおいしいと思った。 島でのほのぼの暮らしは昭和51年の工場閉鎖とともに終焉を迎えた。社宅も学校も銭湯も生協も、工場があったればこそ。祖父も島を離れたが、新居浜の社宅に引っ越してからの祖父は、少し寂しそうだった。 母と一緒の帰省も一泊だけになったある夏の日、帰りがけに祖父が私にミルクキャラメルを渡そうとしたのに「もう食べないよ」と生意気に断ってしまった。 翌月、祖父は他界した。 ミルクキャラメル、もらっときゃよかったと後悔した。 今でも、祖父のニコニコした顔を思い出しながら食べるミルクキャラメル。ちょっとだけ潮味が効いているような気がするのである。
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