1096.ふつうの味(2022.11.21掲載)
以前、ビートたけし氏がこんなことを言っていた。 「30年間ふつうにサラリーマンやるのと、銀行強盗1回やるのとだったら絶対銀行強盗の方が楽だ」 なんとなくわかる。 私の父は、42年間ふつうの公務員を続けた。 その偉大さもわかる。 全ての日常は「ふつう」と「平凡」が繰り返される、ありふれた生活の堆積。だから生活者は小説の世界に飛び込み、現実を離れる快感を味わう。ファンタジー小説、サスペンス小説が受けるわけだ。 では、ありふれた日常を綴った小説を読んでも、ありふれた読後感しか得られないのか。 もちろんそれは違う。 話の鮮度や緊迫感はその内容ではなく、鮮度や緊迫感のある文章が生み出すものだ。研ぎ澄まされた文章が日常から真理を浮き上がらせ、人生の機微を伝えてくれる。生きることのせつなさを届けてくれる。 外食の世界も同じだと思う。 きらめく三つ星店は確かにすごいが、ふつうの店を営々と切り盛りすることもまた偉大。そこには腕のいい料理人のセンスと接客があり、ふつうで平凡な常連客の途切れることがない。 フレンチの巨星、ジョエル・ロブション氏も「料理だけ最良のものを出していればいいというわけではない。料理4割とすると、サービスが6割だ」と語っていた。 ふつうの店に星が付いてしまい、常連の居場所がなくなるという話をよく聞くが、星の浮き沈みに巻き込まれず、ふつうに通える店こそが真の「マイ三つ星」ではないだろうか。もちろん、三つ星店など行けない負け惜しみ込みで。 ふつうが一番難しい。 大手コンビニも「おいしすぎる商品は飽きる。毎日食べても飽きないふつうの味を追求してリピーターを増やそう」と語っている。 これがなかなかの難題なのである。
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