1124.誰そ彼(2023.6.12掲載)
とある繁華街にオープンした「隠れ家」を標榜する居酒屋がまあまあはやっているというので、繁盛店調査を敢行した。 入口か裏口かわからない地味な木戸をくぐり、トンネルのような薄暗い廊下をくねくね歩いて予想以上に暗い個室に案内された。お決まりのアンティークフィニッシュ加工で、新品の壁もテーブルも昔風に黒光っていた。 味は平均的だったが、暗くて食材がよく見えなかった。肉の質をごまかすため、照明をわざと暗くした焼き肉屋があると聞くが、確かに魚や野菜の鮮度がわからない。少し不安になった。 ふと、江戸時代の食事を想像した。 昔のテレビ時代劇の食事シーンは夜でもかなり明るい部屋に設定されていたが、ハイビジョン放送が普及した今日では画質が鮮明になり、リアルに暗い映像を流せるようになった。 ただ、いわし油や菜種油を灯す江戸時代の行灯は60ワット電球の100分の1程度の明るさしかなく、闇鍋状態ではなかったか。 だから、江戸人は朝も夕も明るいうちに食事をした。 明六ツ(日の出の約35分前)に起きて支度をし、明るくなって朝食。明るいうちに夕食をすませ、暮六ツ(日没の約35分後)には就寝。 太陽と寝食を共にする自然児のごとき時間軸は、お仕着せの「エコ」などかすんでしまう究極のサマータイム制なのだ。 ならば件の隠れ家も照明を全て行灯に変え、「開店時間:暮六ツ、閉店時間:明六ツ」としてはどうか。昼間の長い夏期は営業時間が短くなってしまう欠点もあるが、光熱費は抑えられるに違いない。 そして、食材はもちろん、待ち合わせの相手の顔もよく見えない。見えない方が都合のいい時もたまにはあるが、まずは相手を確認しなければ始まらない。 「誰そ彼(たそかれ)?」 たそがれ時の語源が体感できる居酒屋として、けっこう繁盛するのではないかと思うのである。
\\\\
|
column menu
|