1128.徳利でボウリング(2023.7.10掲載)
接待で豆腐料理の専門店「とうふ屋うかい」を利用したことがある。 場所は東京タワーのすぐそば。ここに2000坪の広大な日本庭園を構え、山形の造り酒屋や新潟の豪農屋敷を移築して異空間を演出している。 東京のど真ん中で和の真髄が堪能できるということで、53室ある個室のあちこちから外国人の声が聞こえていた。 会食の席で敷地の広さが話題になり、年配の仲居さんに来歴を尋ねた。 「もともとは東京タワーボウルっていう都内最大級のボウリング場でした。64レーンもあって、昭和38年のブームの頃には東洋一とかって言われてたんですよ」 「昭和38年にボウリングブーム?」 接待相手も私と同世代。生を受けた年にボウリングブームがあったことなど知らなかったが、当時のボウリング場はどこも満員で正月休みの予約が11月末で満杯。賭け試合や高額な景品、未成年者の深夜入場など、風紀の乱れが社会問題にもなったらしい。 我々が知るブームは「さわやか律子さん」の中山律子プロが牽引した昭和46年頃だが、実際にボウリング場に行き始めたのは中学坊主の昭和50年代前半。まだスコアが手書きの時代だったから、点数計算できることが男子の必須条件だった。 こんな思い出話に酒量も進み、いつの間にかテーブルには徳利が林立。酩酊の果てに、それがボウリングのピンに見えてきたが、あながち的外れな幻影でもない。 日本初のボウリング場が青山に出現した翌年の昭和28年。ある雑誌に掲載されたボウリングを説明する記事に、似たようなくだりがあったのだ。 「白い徳利みたいなものを向こう側に並べ、こちらから西瓜ほどのプラスチック製ボールを転がして倒す遊び」 デザートに西瓜をオーダーしたくなった夏の夜なのである。
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