1168.朝青龍とキューポラ(2024.4.29掲載)
両国に大相撲を見に行くたびに、「朝青龍の応援を超える歓声はないよな」とひとりごちてしまう。 朝青龍は、ヒールでもやんちゃでも暴れん坊でもなく、誰もが少なからず抱えているダークサイドを全て土俵にぶつけた力士だった。 美しさや優しさだけを体現して勝負するのが理想かもしれないが、それで負けたのでは本末転倒。ファンは。そんな人間朝青龍に熱狂してきたのだ。 1962年の白黒映画「キューポラのある街」を見た時にも同じ思いを抱いた。当時のダーティな社会情勢を隠さず表現すればこその名作だった。 私が20代の頃に暮らしていた埼玉県川口市が舞台のこの映画、鋳物工場の労働者である父(東野英治郎)と娘(吉永小百合)を取り巻く人間模様が縦糸となって展開していく。 横糸となるキーワードは、「組合」「アカ」「貧乏」「中卒」「民族」「北朝鮮帰還事業」等々。特に、在日朝鮮人が帰国に夢ふくらます描写が印象的だった。北朝鮮がユートピアとして描かれていた。 このような社会の暗部がデビュー間もない吉永小百合の清廉さを引き立て、単純なストーリーに深みを持たせた。ついでに、何もない川口市をキューポラのある街にした。 映画の終盤、卓袱台を囲んで家族で食事をする際に吉永小百合が「高校へは行かない」と明るく宣言するシーンがある。ドラマでもよく見かける定番の設定であるが、前述の横糸の力で重みが出ていた。 だから、朝青龍関の押し出しは、優等生力士のそれとはモノが違うのである。無性に応援したくなるのである。 川口市に在住していた35年前、3Kの鋳物工場は外国人労働者に支えられていた。駅前でパキスタン人に声をかけられたことがあった。「母国に電話をかけたいのですが」と。 折々の問題を抱え続ける街だと思った。
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