1237
暑い。とにかく暑い。異常な太陽と、あり得ない局地豪雨や突風に、日本もとうとう熱帯かと諦観しつつぐったり。 むかしの夏はこんなじゃなかった。 1987年7月28日火曜日。東京。最高気温32.7℃。社会人2年目24歳の夏、先輩の指示で新小岩の某スーパーに直行。販売応援ということでスーツを着て行ったのだが、「にいちゃん、そんなきれいな格好でどうすんだよ。裏だよ裏っ」と店長にいきなりの叱責。実際の応援は倉庫での袋詰め作業で、夕方までじゃがいもと人参をビニール袋に詰め続けた。 午後5時、汗だくでへろへろの私に70歳前後のおっさんが声をかけてきた。「俺も袋詰め応援。普段は鶏卵屋の社長やってんだけどね」と、卵を1パックくれた。ドライな東京で、ちょっとだけほのぼのさせてもらった。 1980年8月1日金曜日。松山。最高気温29.3℃。高校2年17歳の夏、地元で開催されたインターハイの開会式。炎天下のマスゲームや裸体操でくらくら。練習中は絶対に水の飲めない時代、式終了後の生ぬるい麦茶がありがたかった。 帰路、会場近くの泉に体操服のまま飛び込みクールダウン。けど、あの日は29.3℃しかなかったのか。 1970年8月26日水曜日。大阪。最高気温33.2℃。小学1年7歳の夏、家族で大阪万博へ。日射病を回避するべくアメリカ館の月の石はあきらめ、行列の少ないスリランカ館で妥協。 当日、旅館の朝食で出た家族全員のオレンジジュースを持参の水筒に詰め、「喉が渇いたら飲もう」と言っていた母の姿が忘れられない。そんなにも倹約に徹した時代だったのか。 暑かった記憶の夏だが、気温はそうでもなかった。いや、エアコンのない時代だから、数字以上に暑い夏だったのかもしれない。 55年ぶりの大阪万博に記憶の夏をたどってみたのである。
\\\\
b
column menu
b