138.種なしぶどう(2003.10.06掲載)
「とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ 虐げられし少年の詩を」 好きな寺山修司作品の一つである。 作中の「葡萄」は、おそらく巨峰のことだと思うが、昔の巨峰は今より少し小粒で酸っぱく、汁の色も毒々しいばかりに濃かったような気がする。白いシャツを紫のぶどう汁で汚したことが何回かあった。 しかし、幼時、巨峰を食べた記憶といえば病気の時ばかりである。ふだんは種なしぶどうの先駆者、赤いデラウェア。よく、遠足の弁当の中に入ってたっけ。 病気の時に巨峰を食べるのにはワケがあった。それは粉薬を飲むため。母が巨峰の種を取り除き、そこに苦くて飲みにくい粉薬を入れて私に飲ませたのだ。白い粉を巨峰に詰め込む母の後ろ姿と、それをツルンと飲み込む食感は今でも鮮明に思い出すことができる。 その巨峰、平成6年以降はデラウェアを抜いて国内栽培面積第1位となったが、今は全て種なしである。確かに種なしぶどうは食べやすい。けど、薬を詰め込むスペースがなくなってしまったじゃないか。 元来、ぶどうに「種なし」という品種はなく、普通に育てると種ができてしまう。種なしづくりは開花の前後に1回ずつ、花房をジベレリンという植物ホルモン液に漬けることで行われている。 ジベレリンは最も有名な植物ホルモンで、稲がバカみたいに伸びて枯れる「馬鹿苗病」の原因物質として1938年に発見された。現在は果実の肥大、熟成や成育促進などに広く使用されているが、成長促進ホルモンで種が消えるというのも不思議な感じである。 ぶどう好きの私は今年も巨峰5房、ピオーネ25房を平らげた。全て種なし。日本人が発見したジベレリンの恩恵に感謝しつつも、「思い出を詰め込む場所がなくなっちまったぜ」と、ツルリ一粒飲み込んでみた。 今の巨峰は粒がでっかく、喉につっかえそうになった。
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