348.ふつうの店(2007.12.10掲載)
以前、ビートたけし氏がこんなことを言っていた。 「30年間ふつうにサラリーマンやるのと、銀行強盗1回やるのとだったら絶対銀行強盗の方が楽だ」 なんとなくわかる。 私の父は、42年間ふつうの公務員を続けた。 その偉大さもわかる。 全ての日常は「ふつう」と「平凡」が繰り返される、ありふれた生活の堆積。だから生活者は小説の世界に飛び込み、現実を離れる快感を味わう。ファンタジー小説、サスペンス小説が受けるわけだ。 では、ありふれた日常を綴った小説を読んでも、ありふれた読後感しか得られないのか。 もちろんそれは違う。 話の鮮度や緊迫感はその内容ではなく、鮮度や緊迫感のある文章が生み出すものだ。研ぎ澄まされた文章が日常から真理を浮き上がらせ、人生の機微を伝えてくれる。生きることのせつなさを届けてくれる。 外食の世界も同じだと思う。 きらめく三つ星店は確かにすごいが、ふつうの店を営々と切り盛りすることもまた偉大。そこには腕のいい料理人のセンスと接客があり、ふつうで平凡な常連客の途切れることがない。 ミシュラン三つ星獲得の常連、フランス料理人ジョエル・ロブション氏も「料理だけ最良のものを出していればいいというわけではない。料理4割とすると、サービスが6割だ」と語っている。 ふつうの店に星が付いてしまい、常連の居場所がなくなるという話をよく聞くが、星の浮き沈みに巻き込まれず、ふつうに通える店こそが真の「マイ三つ星」ではないだろうか。もちろん、三つ星店など行けない負け惜しみ込みで。 東京ミシュランに掲載された150店をながめながら、その店にふつうに通っていた常連さん達の嘆きを想像してしまうのである。
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