467.健啖のススメ(2010.4.26掲載)
先日、某百貨店で開催されていた「細川護煕展」を見てきた。 細川元首相が60歳で政界を引退した後、自身の工房「不東庵」で手がけた陶芸や書画の作品展である。どれもすばらしかった。「殿様」という出自を差し引いて余りある穏やかな作風で、政治家の匂いのかけらもなかった。 そういや、俳優の加山雄三さんも59歳で油絵、65歳で陶芸を始め、数多の名作を残している。その道で名をなした偉人は、遅咲きの才を咲かせるに十分な懐の深さを蓄えているものだと感心させられた。 それはつまり、いい作品を見続けてきたということ。60年間一流に触れてきた審美眼は、当然ながら創作の場で自作に注がれるわけで、そこに駄作が生まれる隙はない。 食に関しても同じことが言える。 おいしいものを食べ続けてきた健啖家であれば、60歳から包丁を持ったとしても、その肥えた舌で手料理の出来を判断すれば客人をもてなす料理が不味いはずはない。箸より重い物を持ったことがない深窓の令嬢が意外と料理上手だったりするのも、その肥えた舌ゆえである。 高いハードルをクリアして食卓に並べるわけだから、極端な話、それが冷凍食品でもデパ地下の惣菜でも、食べる方は「おいしい」と唸るに違いないのだ。 料理は舌、音楽は耳、美術は目。 付け焼き刃の習い事で来歴を繕うより、一流に触れ続けることの方がはるかに実になるのである。 知人に老舗旅館の跡取りがいるのだが、家業がいそがしくて、物心ついた時から母親の手料理など食べたことがないとぼやいていた。食事はいつも旅館のお膳の残り物で、ひとり愛のない厨房でつまんでいたのだと。 しかし、最高の食材を最高のだしで仕上げた料理を毎日食べていたのだから、彼の舌はかなり肥えているに違いない。だとしたら、それこそが家督を継ぐ者への両親の愛ではないか。 今度、その舌を信じて手料理を作らせてみようと思うのである。 ================================================================ 4月20日から東京国立博物館で、特別展「細川家の至宝」開催です。
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