472.千住ネギ(2010.5.31掲載)
日本橋のタウン誌「日本橋」5月号で「江戸四宿に野菜あり!」という特集記事を見つけた。五街道の起点である日本橋を出て最初の宿場となる江戸四宿は、江戸東京野菜の産地だったというレポートである。 宿場町をおさらいしてみた。 1601年、まず東海道に品川宿、翌年中山道に板橋宿ができた。その後、日光・奥州街道に千住宿、遅れて1698年、甲州街道に内藤新宿ができた。もともと甲州街道には高井戸宿があったのだが日本橋から4里と遠く、他の宿場同様日本橋から2里半の内藤家のお屋敷あたりに宿場を新設したのだ。新しい宿場ということで新宿となった。 ところで、2里半といえば徒歩2時間半の距離であるが、最初の宿場にしては少し近いのではないか。お江戸日本橋七つだち…。東海道だと朝4時に出発して6時半に品川宿。初日の宿泊は8里先の戸塚宿が一般的だが、懐の暖かいうちに品川でどんちゃん騒ぎということもあったらしい。まだ予算に余裕があるから、高級食材を贅沢に頬張ったに違いない。 だから名物野菜が根付いたのか。 品川宿=品川カブ、板橋宿=タネ屋、千住宿=千住ネギ、内藤新宿=内藤トウガラシ。恥ずかしながら千住ネギしか知らなかった。 ということで、千住ネギを食べることにした。2里半を4分の1里に短縮して日本橋から徒歩15分。京橋の「伊勢廣」で千住ネギのネギ巻きを備長炭で堪能した。やはり関東は白ネギだな。 以前、東京の得意先から「関東風うどん」の設計を依頼されたことがあったのだが、不覚にも青ネギでレシピを組んでしまい、しこたま怒鳴られた。なるほど白ネギのこだわりは、江戸の宿場にまで遡るんだ。 この「日本橋」なるタウン誌、全90ページでかなり濃厚。他にも明治時代の日本橋に関する新聞記事を紹介したり、日本橋老舗めぐりの参加者を募集したりと街歩きにうってつけの趣向が満載。 タウン誌のおかげでネギの東西と江戸情緒を学んだのであった。 ================================================================ 月刊日本橋5月号は、通巻373号です。
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