641.鰹歳時記(2013.10.21掲載)
最近、三陸沖で獲れた鰹のたたきにご執心である。 元来、鰹はあまり好物ではなかったが、土佐人に三陸物を勧められて以来、辛子を付けて食べる「塩たたき」に完全にハマってしまった。土佐人曰く、「土佐に来る観光客には地物を出すが、地元民は三陸物を食べる」のだとか。 確かに三陸物の脂の乗りは尋常じゃなく究極のトロ鰹であるが、「トロ志向」が主流になったのは最近のこと。かつてはトロより赤身、さらに言えば江戸っ子がこだわった初鰹なのである。 「女房を質に入れても初鰹(詠み人知らず)」 江戸っ子の初物好きは鰹だけでなく、初鮭、初茄子、初茸を加えて「初物四天王」と呼ばれていた。初物を食べると寿命が75日延びると信じられていたから、鰹1本に3両という平時の100倍の値がついたりもした。 「藤咲いて鰹食ふ日を数えけり(其角)」 初鰹は藤咲く5月。4月が花見で一杯なら、5月は鰹で一献か。「鰹売いかなる人を酔すらん」は、其角の師匠である芭蕉の句。 「鎌倉を生きて出けむ初鰹(芭蕉)」 江戸時代の主な漁場は鎌倉沖だった。ゆえに、明治天皇も「かつをつる小船もみえて由比がはま波しづかなる夏はきにけり」と詠まれた。 「初鰹むかでのような船に乗り(柳多留)」 その鎌倉から江戸までは約54km。小浜で獲れた鯖を塩漬けにして京都まで健脚で運んだ「鯖街道」とは異なり、新鮮な状態で日本橋の河岸まで届けるためムカデのように多くの櫓がついた早船に乗せた。漁獲後8〜12時間くらいで旨味成分であるイノシン酸の含量が最大になるから、江戸の粋人は結構いい状態で鰹を食していたのではないか。 こんな感じで初鰹は名作揃いだが、前述のように江戸っ子は戻り鰹に無関心。俳句も短歌も川柳も見当たらない。そこで拙句を献上。 「義経や戻り鰹と鎌倉へ(Mかつお)」 奥州で鍛錬を重ね、戻り鰹のごとく脂の乗った22歳の義経は兄頼朝のもとへ馳せ参じ、平家打倒で大いに名を上げる。しかし、その後頼朝からの冷徹な仕打ち。これは、春より美味しくなって鎌倉に戻ってきた鰹が評価されない不条理さに通ずるものである。 お粗末でした。
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