751.21世紀のメイク術(2016.1.4掲載)
テレビの「懐かし映像」でバブル期の狂乱ぶりを見ることがあるが、その時必ず違和感を覚えるのが肩パットの入ったスーツとベタ塗りの化粧。 トレンドは繰り返すというが、あのファッションが再来する日はあるのだろうか。もしかしたら肩パットはあるかもしれないが、ベタ塗り化粧は流行というより技術の問題だから、たぶんないな。 それくらい化粧品の技術革新はすごい。なにせ2兆3000億円の巨大市場。素材とメイク技術の開発費など、すぐに回収できるのだ。 化粧の歴史を調べてみた。まずは、魔除けや祝祭のため顔や体に顔料をペイントしていた古代文明。その後、古代ローマ時代には多くの化粧品が「美しく見せる」目的で定着した。 ところが、中世ヨーロッパではキリスト教が化粧を禁じていた関係で化粧文化が停滞。その反動で、禁則が解けた中世後期には過剰な化粧がもてはやされるようになり、今では考えられない有害な化合物を使用した化粧品が多く登場するようになった。 例えば、美白ファンデーションとして多用された塩基性炭酸鉛(鉛白粉)。自然界では金属鉛とともに多く産出され入手が容易であり、急激な毒性が見られないことから日本でも明治初期まで使用されていた。 ただ、鉛は有毒である。日常的に多量の鉛白粉を使用した舞台俳優には、胃腸病、脳病、神経麻痺などの鉛中毒患者が多くいたらしい。 さらにすごいのが、黒目を大きく見せるために点眼されたチョウセンアサガオ抽出液。アトロピンの作用で瞳孔が拡大するのだが、カラーコンタクトがない時代の命がけの目力メイクである。 さすがに現在では法律で認められた「緩和な作用」を持つ素材だけが化粧品に使用されているわけで、薬効などあってはならない。だから、「美白に見せる」のはいいが、「美白にする」ものは違法ということになる。 幼時、放送禁止の「黒んぼ大会」を目標に日焼けしまくっていた小生。男性用美白化粧品の登場に、少しだけ期待してしまう年始めなのである。
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