914.業平の気持ち(2019.4.8掲載)
東京スカイツリーの近くに住む知人が嘆いていた。 2012年の春、スカイツリーの開業に合わせて最寄り駅の名称が「業平橋(なりひらばし)」から「とうきょうスカイツリー」に変わって7年経つが、やっぱり元に戻してほしいと。 確かに嘆かわしい。平安の歌人で伊勢物語の主人公とされる在原業平ゆかりの業平橋。味があっていいじゃないか。 この季節に在原業平といえば花見である。 「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」 桜という木があるがために、春になるとお花見のことを考えねばならず煩わしい。いっそのこと桜がなければ落ち着くのに。いや、やっぱり桜がないのは寂しい…。 貴人業平が桜そのものを詠んだのか、はたまた女性を桜になぞらえたのかは別として、心動かされるものに対するそわそわ感は千年経っても同じなのだ。 生体の感覚が千年程度の年月では変わらないことを、京都大学理学研究科の動物学教室が科学的に証明しようとしている。ショウジョウバエを56年間光が入らない瓶の中で飼い続け、感覚機能や1日の活動リズムの変化を観察しているのだ。 結果、光に敏感になり、嗅覚が発達するという変化は見られたが、現時点で視覚機能の退化や体内時計の変化は確認できていない。 ショウジョウバエの寿命は約1ヶ月。1世代に相当する2週間ごとに新しい瓶に移し替えて1412世代。人間でいうと旧石器時代から現代に至る約3万5000年に相当する。 ということは、業平どころか「はじめ人間ギャートルズ」たちも現代人と同じ感覚だったということになる。ならば、無益な戦争を起こした先人たちの感覚も、われわれ平和人と同じだというのか。 「世の中にスカイツリーのなかりせば」 駅名変更を決断した鉄道会社の感覚はよくわからないが、人間の感覚は存外保守的なのである。
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