949.いちじく集団登校(2019.12.16掲載)
今年はいちじくが豊作だった。 スーパーの青果コーナーや産直市に低価格であふれていたから、1日に1個ずつ熟す一熟(いちじゅく)を毎日1個ずつ食べた。 アラビア南部で紀元前3000年ごろに栽培が始まったとされるいちじくは、1630年長崎に渡来。以後、その栽培のしやすさから全国に普及し、ついこの間まで各家庭の庭先に必ず1、2本はある果物だった。 小学校時代、実家の前が集団登校の集合場所になっていた関係で、庭に実るいちじくは大人気だった。もぎたての証である白い汁を制服に付けながら、悪ガキたちはいちじくを手に学校を目指した。 庭先からいちじくを失敬して集団登校。こんな「サザエさん」でも見かけなくなった昭和のひとコマであるが、実はこの風景にはナチスドイツが深く関わっている。 それは、集団登校の基盤となる校区制を考案したのがナチスだから。天才的発明といわれる校区制は、全くコストをかけず、同じレベルで画一的な人材を作り出すことができる画期的システムなのだ。 例えばある学校が音楽教育に注力したとする。すると必ず音楽の苦手な生徒の親からクレームが来る。「私たちは学校を選べないのだから、勝手な方針変更は困る」と。理科教育に注力したとしても同じ事。 つまり、校区制下ではPTAが勝手に学校を監視してくれて、画一的教育環境が保たれるのである。 個性的教育が叫ばれ、私立学校が台頭し、校区制が消滅しつつある今日であるが、かつての高度経済成長を支えた画一的人材作りに校区制が貢献したことは紛れもない事実である。 自動車、電器製品など大量生産型産業には一人の天才より多数の同レベル人間が必要だったのだ。 GAFAに代表されるIT産業の勃興を目指し、一人の天才を生み出そうとする教育改革。日本にはなじまないと思う。 コツコツ技術を積み重ね、規律を守るモノづくり精神こそが日本を支えているのだから。 いちじくを食べながら、遠い日の集団登校に思いを馳せたのである。
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