「遠い空」 第一章 日曜の夜の過ごし方
『こころの病なおします 萩原心理研究所』 俺が中丸子の街にこの看板をあげて、もう二年になる。 京浜工業地帯の中核都市川崎。そのほぼ中央に位置する中丸子であるが、日本の重工業の屋台骨を支えているという労働者の熱気はあまりない。それは、近くを流れる多摩川とその土手が牧歌的な情景を演出しているからかもしれないが、それよりもむしろ、五年前に進出してきた製薬メーカー「東洋薬品」の、どちらかといえば線の細いサラリーマンが、この街から鉄のにおいを消しているからに違いない。 しかし、だからといって中丸子商店街が東洋薬品の城下町として栄えているわけではない。社屋と商店街とがJRの線路で分断されているという立地条件のせいかもしれないが、やはり、サラリーマンたちは十分ほど南武線の人いきれを我慢すればたどり着くことのできる川崎のネオンを求め、改札をくぐる。 そういう意味で、中丸子商店街は経済的発展を放棄したかわりに下町の庶民的な雰囲気を手に入れていて、俺は好きだ。 ただ、この萩原心理研究所のクライアント、つまり患者のほとんどが東洋薬品の社員やその家族であるわけで、商店街の中で、唯一ここが東洋薬品の経済的恩恵を受けている場所であるという言い方もできると思う。 午後五時三十分。東洋薬品の退社時間がここの開業時間だ。 「さあ、仕事だ」 俺は入口の鍵を開け、診察室へ入った。 「こんばんは、山岸さん。お仕事お疲れさまでした」 「ああ、今日も疲れたよ」 「どうぞおかけになってください」 「ありがとう」 今日で三回目のカウンセリングとなる山岸さんは四十代前半の働き盛りで、東洋薬品マーケティング部の課長。中途採用と単身赴任のストレスが重なり、冷蔵庫の中のものをすべて食べ尽くしてしまうという過食症に陥っていた。発作は月に一、二度起こるらしく、おまけに発作の前後はかなりひどい鬱の状態で、出社どころか、ベッドから起き上がることもできないらしい。 もちろん、大企業である東洋薬品には専属の産業医が常駐しており、山岸さんもそこでカウンセリングを受けられるわけだが、こころの病にかかっているという噂が広がることを恐れ、俺の研究所にやってきたというわけだ。産業医は、プライバシーは絶対に守ると言うらしいが、社内スピーカーはどこに隠れているかわからない。必ず噂は広がる。企業とはそういうところだ。 「それじゃ、早速この一週間に見た夢を話してみてください」 ユング派の俺は、こういう時の基本的カウンセリング法である夢治療を、山岸さんに対しても実施している。 「昨日ねえ、変な夢見たんだよ」 「ほう、どんな夢ですか」 「あのね、いつものように会社に行くために電車に乗るんだが、何回乗ってもホームに立ってるんだ。それでね、遅刻しそうになったんで、電車あきらめて線路を走ることにした。だが全然足が動かなくて、もがくんだ。あーっ、遅刻するって」 「線路ってどう思いますか?」 「うーん、まっすぐ続くもの、まっすぐ・・・。敷かれたレール、人生のレール、おお、そうか、親が敷いたレール・・・もがく。そうか、うん、うん」 「山岸さんは小学生の頃、かなり勉強やらされたんじゃないですか?」 「そりゃあもう凄かったよ、うちの母親は。勉強だけならまだいい。母は、俺を外で遊ばせなかったんだ。友達が野球の誘いでやってきても、『誠二は風邪で寝てます』って言って追い返してた。ほんとに厳しかったよ」 山岸さんに限らず、俺の研究所を訪ねてくれるクライアントは思いっきり遊んだ経験のない人ばかりだ。これは共通している。 そしてもうひとつの共通点。それはすこぶる頭がいいということ。特に、理系的な頭の良さが共通している。厳しく教育され、勉強以外の思考回路を脳内に作らないまま成長してしまった人は、ストレスの受け皿や、病の逃げ道もまた、人より少ないのかもしれない。 「夢の続きはどうなりました?」 「それでね、なんとか会社に着くんだが、いきなり会議室なんだ」 「会議中ですか?」 「うん。で、私以外のメンバーがサザエさん一家だった」 「サザエさん?」 「ああ、波平さんも、マスオさんもいた」 「サザエさんといえば、一家団らんですよね」 「うん、だけど先生、私は単身赴任だが、家族とはうまくやってるよ。断じて濡れ落ち葉や粗大ごみなんかじゃない。金曜日には必ず新潟に戻って、楽しい週末を過ごしている。ストレスとは無縁だ」 「そうですか、じゃ、サザエさんの放送時間はいつでしたっけ」 「最近見てないが、あれは確か8チャンネルで六時三十分からだったなぁ。あれ、待てよ、なんで最近見てないんだ、えーと、あっ、その時間はいつも新幹線の中だ、うむ、東京へ戻る途中のね」 「団らんから遠ざかって、厳しい競争社会に戻る途中ですね」 「そういう言い方もできるな。いやな時間帯だ。おーっ、そうか・・・サザエさんの時間帯かぁ」 俺にも覚えがある。日曜の夜、サザエさんのエンディングテーマを耳にした時、月曜からのことを考えて悲しくなったこと。そう考えると、日曜の夜が悲しくない生き方を心がけると、結構、人生楽しくなるかもしれない。 日曜の夜が悲しくない生き方。それは、山岸さん自身に見つけてもらうしかない。無責任かもしれないが、内面から派生した問題は、内面から解決するのが一番だ。 「先生、夢を記録するっておもしろいね」 「そうでしょ」 山岸さんは、俺に夢のことを素直に話してくれる。それは、コミュニケーションがうまくいっているからであり、心が通じ合う「ラポール」と呼ばれる状態に到達しているからである。こうなれば、もうほとんど問題は解決したと言ってもいい。山岸さん自身が自分なりに状況を整理して、自分なりの出口を見つけてくれる。俺は、その出口に立つ山岸さんの後ろで、ちょっとだけ背中を押せばいいだけだ。この人がここに通うのも、もうあと一、二回だろう。 「山岸さん、じゃまた来週」 「ああ、ありがとう」 俺は、五十分ほどのカウンセリングを終え、山岸さんを見送った。 あたりはもう真っ暗で、中丸子商店街の中途半端な街灯が、これまた中途半端にそこに取り付けられた模造の桜に反射し、まばらな人影と相まって、ますます場末の趣を強くしている。 こういう曖昧な闇を見ていると、幼少の頃の夕暮れ時を思い出す。遊びに熱中するあまり、不本意ながら闇に包まれてしまった経験は誰にでもあるはずだ。つるべ落としの闇は、子供の駆け足より速く迫る。俺はいつも暗くなるまで遊んでいた。 そういえばこの最近、暗くなるまで遊ぶことがすっかりなくなってしまった。明日のこと、仕事のこと、将来のことを考えて無意識のうちに自分で自分の手をひっぱっている。悲しいがそれが現実だ。迷子になるまで何かに熱中すれば、土曜の夜も日曜の夜も関係ないはずなのに。 七時ちょうど。次のクライアントの診療時間だ。 「次の方どうぞ」
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