「昭和恋々 あのころ、こんな暮らしがあった」
山本夏彦/久世光彦著 文春文庫 定価六七六円 来年の四月二十九日は昭和の日となりそうな気配である。その勢いも手伝って、本書を購入した。山本夏彦氏と久世光彦氏の共著で、珠玉のエッセイに昭和の写真がちりばめられている。 行水、ラジオ体操、蚊帳、駄菓子屋、露地…。 目次を見るだけで昭和がこみ上げてくるではないか。そう、昭和なんだ。私らは昭和に生まれ、昭和に育ったのだ。山本氏は大正四年生まれ、久世氏は昭和十年生まれ、私は昭和三十八年生まれ。ほぼ同間隔のへだたりで見る昭和。記憶の原風景に世代差はないということか、大半が私の誕生前の写真であるにもかかわらず六十点以上のモノクロ写真がとてつもなく懐かしい。 小さなたらいに浸かった夏の日の行水(必ずじょうろがシャワーになるんだよなー)。母方の実家に帰省した時も欠かさなかったラジオ体操(スタンプカードを首からぶら下げましたよ)。ワクワクしながら飛び込んだ蚊帳ワールド(若人よ、蚊帳の吊し方を知っているか!)。駄菓子屋の巨人の星甘納豆(台紙に貼ってつり下げるカレンダースタイルの元祖じゃないか)。ちょっとじめじめした裏露地(必ずどぶ川がありました)。 昭和二十年前後の写真と私の記憶が重なる不思議。昭和には世代の隔たりを埋めてくれる魅力がある。あんなに経済発展を遂げ、めまぐるしく進化し続けた六十年間だったのに。逆に平成の十年の方が、取り残され方が酷い。まばたきの間に今浦島にされてしまう怖さがある。 昭和風景のあたたかさは、その中心に家族があったからではないか。我が実家の唯一のルールは祖父母を囲む家族六人の夕食だった。そんな、時代を貫く絆の普遍性が懐かしさを呼んでいるのかもしれない。 著者の言葉が胸に響く。 「私が時折、小雨の露地を拾って歩くのは、あそこに何か忘れ物をしてきたように思うからである」 本書を読めば忘れ物が見つかると思う。ちょっとのぞいてみよう、あのころの露地を。昭和が遠くなる前に。
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