「過ぐる川、烟る橋」
鷺沢 萌著 新潮文庫 定価四〇〇円 以前、ビートたけしさんがこんなことを言っていた。「三十年間ふつうにサラリーマンやるのと、銀行強盗一回やるのとだったら絶対銀行強盗の方が楽だ」。なんとなくわかる。私の父は、四十二年間ふつうの公務員を続けた。その偉大さもわかる。 全ての日常は「ふつう」と「平凡」が繰り返される、ありふれた生活の堆積だ。そして生活者は時に小説の世界に飛び込み、現実を離れる快感を味わう。ファンタジー小説、サスペンス小説が受けるわけだ。 では、ありふれた日常をつづった小説を読んでも、ありふれた読後感しか得られないのか。 それは違う。 本書を読むと、話の鮮度や緊迫感はその内容ではなく、鮮度や緊迫感のある文章が生み出すものだということに気づくはず。研ぎ澄まされた文章が日常から緊迫感を浮き上がらせ、人生の機微を伝えてくれる。生きることのせつなさを届けてくれる。鷺沢萌はそんな文章を書く作家だ。 プロレスラーを引退してスポーツキャスターとなった主人公「篤志」は、ふるさと博多を訪れ、昔を回想する。一九七〇年代、単身上京し、中華料理店で働いた。体がデカいのが悩みの篤志は、店の先輩「勇」のすすめでプロレスの世界に入り運をつかむ。そして、勇は運に見放され転落の道を辿る。二人の間で揺れる「ユキ」という女性。 落ちぶれた勇とユキが営むボッタクリ屋台を篤志が訪れる最後のシーン。川沿いの屋台と博多のネオンがせつなさを醸す。時を経て再会した三人の心を去来するものは何か。ささやかな日常さえもかなわなかった勇。貧しさの中から夢をつかんだ篤志。そしてユキ。 最近読んだ小説の中で、最も平凡で最も印象に残った一書である。 ほんとうにせつない話だった。
|
review menu
|