2. 干し柿三ヶ条 (2001.01.20掲載)
干し柿三ヶ条 もし、明日地球が滅亡するとしたら、今宵最後の食卓に何を並べるか。 その一 まず、この質問に即答できるメニューを持っているのかということ。「えーと、羅生門の焼き肉?いや待てよ、藪そばの天たね、うん、久兵衛の中トロもいい」てなことじゃなく、街角インタビューで不意にマイクを向けられてもすぐに出てくる究極のメニュー。おそらくそれは、いつも食べたいと思っているもの。いや、願っているもの。 去年の暮れからミレニアム新年にかけて、私はスプレーヒッターのごとくさまざまな方向にむけて、「干し柿が好きだ」と語りまくってきたが、その甲斐あって例年の十倍もの収穫を得ることができた。本当に幸せだった。届けてくれた多くの方々に心から感謝している。願いは叶ったのだ。 その二 あれば食べてしまうもの、後まわしにできないもの。それこそが最後の晩餐にふさわしい。「コハダで入ってギョクで流し、ガリをつまんで中トロへ」なんてカッコつけてる場合じゃなくて、中トロが好きなら最初から中トロを目指せ。「好きなものは最後にとっておく」という考え方をしているようじゃ、まだまだ甘い。ガリをつまんで中トロに手を伸ばした瞬間に地球が滅亡したらどうするんだ。だから先に食べる。 干し柿の長期保存法というのがあって、一個一個ラップで包んで冷凍すればいつまででも日持ちする。「夏の夕暮れ、蝉しぐれを浴びながら季節はずれの干し柿を堪能する」。こんなドリームを描いてラッピングに精を出した私だったが、次の日から、そのラップを一日に一個ずつはがすという非生産的作業に従事し、夏の夕暮れどころか、干し柿に桜を見せてやることすらできなかった。ま、こんなものだろ、好物というものは。 その三 「干し柿マニアにとっては満足のいく味ではないかもしれませんが…」という言葉とともに干し柿をいただく。愛好家のこだわりは相当なものだろうとのお心遣いであろうが、どっこい本当のマニアはすべてを受け入れる。「こだわり」という単語はハンパなマニアの免罪符にすぎない。 とにかく干し柿なら何でもいい。超ドライで粉のふいた「ころがき」もいいし、半乾燥の「あんぽがき」もいい。勢い余って正月のお供えの干し柿にまで手を出してしまい、日持ち向上のための酸味料で酸っぱくなったそれを口にしても「結構いける」と平らげてしまう。 うん、そうだ。好きになった人ならロンゲだろうがショートだろうが関係ない。寝ぐせがついてたってかまわない。それが好きということでしょ。 最後の晩餐をともにする好きな人の顔、すぐに浮かんだ? 干し柿がすきだーっ。
|
column menu
|