8. 炬燵に蜜柑 (2001.03.12掲載)
こたつからミカンが消えて久しい。かごに山盛られた山吹の玉はお茶の間の主役であり、団らんのランドマークでもあった。ミカンが消えたあの日から、家庭崩壊のシナリオは始まっていたのだ。 なつかしき我がふるさとのこたつにも、ミカンは鎮座していた。貧しき七〇年代の貴重なエネルギー源は指先を黄色く染め、家族を一つにした。そして、ミカンのお供は決まって花札だった。トランプでも双六でも人生ゲームでもなく。 母親が洗い物を終えると、しばしミカンにお暇を出してこたつ板をひっくり返し、任天堂花札を登場させる。黒光りする札をめくって飛び込んでくる四十八枚の絵札はミカンと同じくらい眩しく、いまでも脳裏にその極彩色が焼き付いている。 こたつ花札は学業にも影響を及ぼした。小学四年の秋の版画大会で、「柳に小野道風(十一月札)」を彫り、小学五年の書き初めでは「松に鶴(一月札)」と書いた。小学六年の卒業文集には、「梅に鶯(二月札)」の時を経て「桜に幔幕(三月札)」の下、今日の良き日を迎えました、などというませた文章を書いていた。うーん、季節感があっていいじゃないか。小学生にして、古典では一月から三月までが春だということを札から学んでいたのだ。 しかし、一つ解せない札があった。横尾忠則氏の作品を彷彿させる、ひときわ華やかな「桐に鳳凰(十二月札)」。桐がなぜ十二月なんだ。桐と鳳凰の組合せ自体は焼き物の絵柄になったり紋所になったりで何の問題もないし、桐には鳳凰のとまる木(フェニックス・ツリー)という別名だってある。しかし、十二月との関係はいまだ謎のまま。どうせならわかりやすく、十二月の札を「炬燵に蜜柑(こたつにみかん)」としてはどうだろう。季語的にもぴったりだし、一年締めくくりの札としてもふさわしい。団らんとミカンの復活を願って、そんな絵札を思い描いてみた。
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