14. かどみせ時代 (2001.04.23掲載)
緑黄色野菜の季節が来た。といっても、スーパーに行けば必ず最初に目に入る青果コーナーにはいつもと変わらない鮮やかな緑があり、今さら・・・という気もするが、やっぱり緑の季節である。魚の季節とか、肉の季節などと言わないんだから、スーパーの食料品売場の中で一番日本人的な売場が青果コーナーではないだろうか。 なぜ青果コーナーが、ほとんどのスーパーの食料品売場で入口付近に設けられているのか。それは彩りがよく、見た目にきれいだから。うーん、まさにサラダ感覚の模範解答。だが、ちょっと軽すぎる。とすると、こういうのはどうか。今日の食卓で主役となるのはやはり肉や魚で、野菜は添え物に回る場合が多い。その肉や魚を入口付近にもってきたのでは、それらをかごに入れた時点で買い物を終えた気分になってしまい、レジに直行されてしまう。うんうん、やや説得力が増したが教科書的すぎて面白くない。ならば、「八百屋さんの名残説」っていうのはどうか。 昔は町内に必ず一軒はあった八百屋さん。魚屋さんや、肉屋さんには悪いが、とにかく八百屋さん。四つ角のコーナーの部分に店があるというだけで、「かどみせ」と安直に呼ばれていたうちの近所の八百屋さんでは、井戸端会議ならぬ「かどみせ」会議に花が咲いていたものだった。こういった八百屋さんは道路にはみ出すようにせり出した台や、時には路肩の上なんかにも皿盛りの青果を並べ、ひと山いくらの特売セールで客寄せを行っていた。今となってはテレビアニメのひとコマでしか見ることのなくなったその風景を懐かしむかのように、スーパーの入口付近に鎮座する青果に人は引き寄せられる。 この哀愁さえ感じさせる、「八百屋さんの名残説」を頭に描きながら休日のスーパーを歩く。しかし、どんなに新鮮な野菜たちを見ても、そこに「かどみせ」の面影はない。そして、感傷にふける間もなく青果、鮮魚、精肉コーナーと、人の流れに乗って歩く。水族館の魚のように歩く。ひとつ間違えば水族館で泳ぐ姿を人間に見られていたかもしれない鮮魚コーナーのメバルも、ふたつ間違って回遊魚のような人間たちを白いトレーに横たわって眺める。 なんだかわけがわからなくなりそうだが、回遊魚になることのなかった「かどみせ」時代が、最近妙に懐かしい。
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