36. 1ppmの罪(2001.09.25掲載)
幼少の頃よく耳にした言葉に、 「ごはんは1粒残さず食べなさい」 というフレーズがあった。これは、 「ごはんを食べてすぐ横になると牛になるよ」 という例の夕食後の常套句と並んで、日本の食卓に欠かせない母親の声だったように思う。そのごはん粒に対する思いは、そのままお百姓さんの八十八の手間につながるもので、ある種の信仰めいた感覚があったのではないだろうか。 その1粒の重み。 ほとんどの人が1日に1杯はごはんを食べると思う。そうすると1年間で365杯。ごはん1杯に約3000粒のお米があると考えると、約100万粒のお米を食べることになる。ということは、1粒のお米を粗末にした人は、その年、母親とお百姓さんに対して100百万分の1の罪を犯してしまったという見方もできる。 100万分の1。これは1ppm。1ppmの罪って重い?それとも軽い? 水で考えるなら、家庭の大きめのお風呂に水一滴。距離で考えるなら、1万メートル走で1センチのフライング。 それぞれのシチュエーションでそれぞれの物差しがあるわけだから、ここでそれを数学的にあれこれ考えるのは、お百姓さんに対して失礼である。1ppmだろうが10ppmだろうが1粒は1粒。目の前のごはんを残さず食べればそれでいい。 では、分析の世界ではどうだろうか。目に見えない微量成分を分析するとなると、どうしても機器分析値という数字に頼らざるを得ないが、これが恐い。 現在の分析機器の性能はppmどころか、ppb(10億分の1)単位の数字も出してくれる。そんなとてつもなくミクロな存在の物質も、分析機器の液晶に数字として出されてしまえば、それはもう絶対的なものになってしまい、 「2ppmも出てしまった」 などという呟きも出てしまう。試料を分析機器にかけるまでの操作は生身の人間がするわけだから、その数字の重みをもう少しリアルに感じなければならないと自らも反省。 そして、夕食のごはんの最後の一粒をかみしめながら、明日の実験がうまくいくことを願うのです。
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