40. 懐かしのエンゼルパイ(2001.10.22掲載)
小学生の頃、森永エンゼルパイをお腹いっぱい食べたかった。当時も今と同じ一箱百円。高くて高くて手が出なかった。百円玉の神々しい輝きは今とは比べものにならないほどありがたく、気軽に差し出す勇気など誰も持っていなかった。そして、「一瞬で終わってしまうエンゼルパイより、五十円で結構長持ちする横綱あられの方が家族みんなで楽しめるだろう」と幼心に涙ぐましい家族愛。ゴックンつばを飲み込んで、エンゼルパイを我慢する日々であった。 先日、すっかり威厳のなくなってしまった百円玉で二十五年ぶりにエンゼルパイを買って、食べた。いやというほど食べて昔の借りを返そうと意気込んでみたが、パブリーに食べ終わった後には何の感動もなかった。そして、あのサンドされたマシュマロが時代錯誤でなんだか悲しかった。なんでマシュマロなんだろ。 もともと、マーシュマローという、湿地(マーシュ)に群生するあおい属植物(マロウ)の根の粉末をゼリー状にして食べたのが始まりだというマシュマロ。三月十四日のホワイトデーだってマシュマロを贈るのが正統らしいが、そんなことは誰もしていない。今日の商業戦略にも乗り遅れてしまった悲しいマシュマロ。 そんなマシュマロのありがたさを再認識する事件があった。仙台に出張した時、東北限定「エンゼルパイさくらんぼ味」を見つけてホテルで食べたのだが、サンドされていたのはマシュマロではなく、ピンク色の生クリーム。あのマシュマロのぐにゃぐにゃ食感がない上に、生クリームが濃厚すぎて全部食べられない。地域限定品特有の「押しつけ」以上にくどい味であった。 なくなって初めてわかるマシュマロのありがたさ。そんな微妙なポジションの食材だなと思った。
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