42. やっちゃいましょう(2001.11.05掲載)
胸おどる秋祭りの季節がやってきた。春祭りと夏祭りは市役所の仕切りで青年会議所が空騒ぎするだけの虚しいイベントであるが、秋は違う。魂がうごめき、血が騒ぐ。遺伝子に刻まれた農耕民族の雄叫びは、わっしょいと我々の背中を押してくれる。収穫祭の悦びがあるからこそ、人は漆黒の冬を耐え抜くことができるのだ。 そして、祭りの食卓には決まって蒸し栗が盛られていた。包丁で半分に切ってスプーンですくうホクホクの味。五穀豊穣のシンボルのような栗を法被姿でほおばった秋の日が、ついこの間のことのように蘇る。 ところがである。二年前から突如市場に出現した「甘栗むいちゃいました」が、今年単品で百億に迫る勢いだという。なんでむいちゃうのか。栗は自らが剥いて食べるものだろう。八十八の労苦があって収穫祭の歓喜があるように、手間をかけて皮を剥くからこその秋味なのだ。「生卵わっちゃいました」とか「納豆まぜちゃいました」じゃマズイだろう。 もひとつおまけに「ひとくちおいもできちゃいました」が発売された。一口で食べられないから焼きイモなんだ。ざっくり割った断面から立ち上る湯気の中にこそ、真の焼きイモフレーバーは存在する。 私は、安直な発想でヒットしたこれらの商品に嫉妬しているのではない。うん?ちょっとしているかもしれない。いや、やっぱりかなりくやしい。この消費者サイドに立った柔軟な発想を見習いたい。今の時代に単品百億なんてすごすぎる。そうだ、「花かつおかけちゃいました」なんてどうでしょう。「だしの素とけちゃいました」ってのもあります。とにかくなんでもやっちゃいましょう。 桃栗三年柿八年、十年一度のヒットを願う。
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