48.スイスの味(2001.12.17掲載)
今から20年ほど前、高校2年の予餞会(卒業生を送るイベントで体育館のステージで演劇やバンド演奏をする)でのこと。教員代表で、うだつの上がらない定年前の英語教師「ヤマハゲ」がステージに上がった。 いつもうつむき加減のボソボソ声で講義をするヤマハゲは生徒全員から無視され、授業はいつも崩壊状態。それでも声を荒らげることなく教科書を読むヤマハゲは、哀れですらあった。 そのヤマハゲが1人ステージに上がったのである。客席は一瞬静まり返り、すぐに帰れコールと罵声の嵐がステージを襲った。それでもいつものことと表情一つ変えず、ヤマハゲはマイクの前に歩み寄った。そして、おどろくべき珠玉のクリスタルボイスで「エーデルワイス」を歌ったのである。 体育鬼教官がいくら「静かにしろ」と叫んでも収まらなかった罵声がぴたりと止まり、客席はステージの一点に集中した。歌のことなんか全くわからないヤンキーボーイたちがポカンと口を開けてヤマハゲを見つめている。目を閉じるとアルプスの白い花が浮かび、胸は感動でいっぱい、息が苦しくなった。歌声に目頭を熱くしたのは初めての経験だった。そして、その静粛はブラボーの拍手に体育館が一つになる瞬間まで続いた。 卒業後、エーデルワイス事件の感動を伝えたくて、ヤマハゲの家を訪ねたことがある。意外にもヤマハゲは独身で、「10年前からスイスに凝っている」と言って、エーデルワイスの次に好きだというスイスの国民的鍋料理、チーズフォンデュをこしらえてくれた。 固くて匂いの強いグリュイエールチーズと穴ぼこだらけのエメンタールチーズを細かくすり下ろし、あたためた白ワインに溶かす。コーンスターチをキルシェに溶いたものを加えてできあがり。 「このフランスパンをこうやって長いフォークに刺して、チーズをからめて食べるんだ」 「へぇー、すごい料理知ってんだね、センセイ」 初めての味。そして、ネクラでうだつの上がらないはずの定年教師のおしゃれなスイス趣味。カッコいいと思った。若き日の悪行とあの日の罵声を恥じた。 人を外見で判断してはいけないことを学び、フォンデュのおかげでちょっぴり大人になれた気がした二十の夜であった。
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