59.木下先生(2002.03.12掲載)
桜三月、大学時代の偉大なる恩師で大恩人の木下良郎先生が、定年退官をお迎えになる。私に研究のおもしろさを教えてくれ、化学者への標を示してくれた寡黙な伝道師。派手な退官パーティーを嫌い、身内だけの居酒屋祝宴さえも遠慮がちに受けられるその姿勢は、有機化学同様、信念を究め続けた結果なのか。 背中で教える木下先生の指導は、後でじわじわ効いてくる。 ピロリジン事件…ピロリジンは栗の花の匂い。あやしい匂い。男性は皆ピロリ人。夏の暑い日、私の不注意で高温のピロリジンがガラス器具を持つ先生の腕にかかってしまった。強アルカリのピロリジンが皮膚にかかると内部まで浸透してしまう。ましてや高温。大変な事態にうろたえる私。しかし、先生は中和するための5%酢酸溶液作りを冷静に指示し、流し台にガラス器具を置いた後、初めて流水で腕を冷やし始めた。有事にもあわてない判断力と道具を大切にする心は、腕に包帯が巻かれていた3ヶ月間、私の胸にじわじわ染み続けた。 クロロホルム事件…ご存知クロロホルムは揮発性の高い有機溶媒。秋の昼下がり、私は先生から「このクロロホルムをとばしてください」との指示を受けた。「とばす」とは、減圧濃縮によって溶媒を揮発させること。しかし、道楽テニスと読書三昧(といってもゴルゴ13)のアホな私は、なんと直火バーナーでクロロホルムを加熱し始めた。だんだん気持ちよくなってきた。「せぇ〜んせぇ〜い、こんなのでいいんで〜すかぁ」「ばかっ、危ない、早く火を消して!」。クロロホルムどころか研修室ごととばしてしまうところだった。しかし先生は、こんなアホ4回生にその後ていねいにとばし方を指導してくれた。分け隔てのない優しい心は、クロロホルムの瓶を見るたびにじわじわ脳裏によみがえる。 化学の終わり事件…卒論も佳境に入った冬の夕暮れ。「先生、このテーマはどこまでやれば終わりなのですか?」との私の問いに、「化学の研究に終わりなんてないですよ」と一言。「そのうちわかりますよ」と笑う先生の顔を一里塚とし、じわじわと化学の道を歩ませてもらった。そして、なんとなくその言葉の意味がわかるようになってきたいま、先生は白衣を脱がれる。 もっと指導してほしかった。もっと気合いを入れてほしかった。もっとほめてほしかった。 「あとは一人でやりなさい」 これが最後の背中の教えなのかもしれない。 生涯最高の恩師へ。 ありがとうございます。 ごくろうさまでした。
|
column menu
|