61.びっくりようかん (2002.03.25掲載)
桜の季節がやってきた。この頃になると必ず頭を去来する短歌が二首ある。 「願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃」西行法師 うーん、うつくしい。満月の夜に桜の下で死ぬなんてカッコよすぎる。西行さんは旧暦の2月16日が命日。これは今年の新暦で3月29日。願いは叶ったのである。 「世の中に絶へて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」在原業平 そーなんですよ。桜があるからお花見のことで気を揉むのです。桜がなかったら、新人くんも場所取りの苦労から解放されるのにね。けど、もちろんこの一首は逆説。「しょーがねぇなー、今年は花見5件はしごだよ」ってなオヤジのいわゆる「うれしい悲鳴」を見事に代弁している。西暦812年4月3日、日本で最初にお花見をした嵯峨天皇さまも、お花見がここまで盛り上がる行事になるとは思ってなかったでしょうに。 幼少の頃、花見はわが家の一大イベントだった。親族一同20名が大挙して宴の花を咲かせる。「今年はどこでやるか」が、一ヶ月前から夕げの話題。たしか、松山城→道後公園→梅津寺(ばいしんじ)てなローテーションがあったと思う。 そして、思い出すのは「びっくりようかん」なる極彩色の寒天系デザート。気の利いたおやつのなかった昭和40年代、溶かした棒寒天に砂糖と赤や緑などの色粉を入れ、タッパーの中で固める自家製ゼリーが花見に色を添えていた。けど、おふくろには悪いけど、子供心にあまりうまくなかったんだよね。甘いモノなら何でもよかったあの時代なのに、いまひとつだった。とすると…。 うん、あれは色だ。今では敬遠されてしまう赤や緑の合成着色料。見るからにアブナイ色素。色つきハッカ水のあの色ですよ(赤は赤色102号、緑は黄色4号+青色1号)。あのまぶしい色をお花見弁当に盛り込むことで、記憶のランドマークとしたかったんじゃないかな、おふくろさんは。 一生忘れませんよ、あの「びっくりようかん」の色。 「はからずも胸に染みたる合着に思い出します団らんの花」Mかつお
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