69.小春おばさん(2002.05.20掲載)
歌舞伎見物の幕間に幕の内弁当を食べた。 歌舞伎座の地下1階「花道」で出されたそれは、幕の内弁当の王道ともいえる詰め合わせ。たわらむすび、炊き合わせ、牛しぐれ煮、もずく、がんもどき、さつまいも、玉子焼き、鮭、つくね、高野豆腐、かまぼこ、さつま揚げ、漬物に、吸い物とよもぎ饅頭がついて2000円。高いとは思わなかった。同じく歌舞伎座にある名門「吉兆」の幕の内が6000円だということを事前に知っていたせいかもしれないが、満足感十分。たまに買う1000円の添加物たっぷり駅弁幕の内よりはるかに割安だと思った。 全ての食材は芸術的に盛りつけられ、かつおだしのほんわか風味が旬の味を上品に引き立てる。味、外観、ボリューム全てが完璧。幕の内弁当に感動したのは初めての経験だった。 そして、この幕間のお弁当タイムに歌舞伎座ならではの出会いを経験させてもらった。80歳代とおぼしき白髪の貴婦人と合い席になったのだ。その凛とした立ち居振る舞いと春のような薄紅の眼鏡が美しく、思わずお茶を入れて差し上げた。 「どうもありがとうございます」 優しく頭を下げる貴婦人に、なぜかドキドキしてしまった。年齢を超えた色気を感じた。この貴婦人を何となく「小春おばさん」と呼んでみたくなった。この気品と慈愛はどのような生き方をすれば身に付くものなのですか。一人歌舞伎見物の幕の内弁当はどんなお味ですか、小春おばさん。 先に食事を終えた私の「お先に失礼します」の声に深々と頭を下げた小春おばさんの神々しさは、四代目尾上松緑の弁慶なんかよりずっと魅力的だった。そして、人生経験未だ浅き若造が歌舞伎見物と洒落た背伸びを恥じた。 第3幕、花道を下がる松録に「音羽屋」の声がかかった。 第4幕、花道の貴婦人に心の中で「小春おばさん」と声をかけた。
|
column menu
|