77.昭和(2002.07.15掲載)
来年の4月29日は昭和の日となりそうな気配である。その勢いも手伝って、やっと文庫化となった「昭和恋々 あのころ、こんな暮らしがあった」を購入した。山本夏彦氏と久世光彦氏の共著で、珠玉のエッセイに昭和の写真がちりばめられている。 行水、ラジオ体操、蚊帳、駄菓子屋、露地…。 目次を見るだけで昭和がこみ上げてくるではないか。そう、昭和なんだ。私らは昭和に生まれ、昭和に育ったのだ。山本氏は大正4年生まれ、久世氏は昭和10年生まれ、私は昭和38年生まれ。ほぼ同間隔のへだたりで見る昭和。記憶の原風景に世代差はないということか、大半が私の誕生前の写真であるにもかかわらず60点以上のモノクロ写真がとてつもなく懐かしい。 小さなたらいに浸かった夏の日の行水(必ずじょうろがシャワーになるんだよなー)。母方の実家に帰省した時も欠かさなかったラジオ体操(スタンプカードを首からぶら下げましたよ)。ワクワクしながら飛び込んだ蚊帳ワールド(若人よ、蚊帳の吊し方を知っているか!)。駄菓子屋の巨人の星甘納豆(台紙に貼ってつり下げるカレンダースタイルの元祖じゃないか)。ちょっとじめじめした裏露地(必ずどぶ川がありました)。 昭和20年前後の写真と私の記憶が重なる不思議。昭和には世代の隔たりを埋めてくれる魅力がある。あんなに経済発展を遂げ、めまぐるしく進化し続けた60年間だったのに。逆に平成の10年の方が、取り残され方が酷い。まばたきの間に今浦島にされてしまう怖さがある。 昭和風景のあたたかさは、その中心に家族があったからではないか。我が実家の唯一のルールは祖父母を囲む家族6人の夕食だった。そんな、時代を貫く絆の普遍性が懐かしさを呼んでいるのかもしれない。 著者の言葉が胸に響く。 「私が時折、小雨の露地を拾って歩くのは、あそこに何か忘れ物をしてきたように思うからである」 本書を読めば忘れ物が見つかると思う。ちょっとのぞいてみよう、あのころの露地を。昭和が遠くなる前に。
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