78.球児の夏、日本の夏。(2002.07.22掲載)
真夏日文月日曜日、モーニング蝉に後押しされて母校の応援に出かけた。夏の甲子園地区大会1回戦。じりじり太陽を背に、麦わら帽子を頭に、ファンタグレープを手に一塁側へ。ブラバンの金管もまぶしい。そして、まばらなスタンドにこだまする校歌は胸を熱くさせ、スカートの下にジャージをはいた女子高生(日焼け止めかのぞき防止か?)との一体感を演出してくれた。北国の短い夏がそうであるように、次のない弱小チームの応援は一回戦からフルテンションで盛り上がる。にわか同窓会の開催もここに足を運ぶ動機となるのだ。 母校は中途半端な進学校で、スポーツも中途半端。「練習も中途半端できっと楽に違いない」と勘違いして入部し、予想外のまじめな練習に苦悩する犠牲者を数多く見てきた。出口の見えない猛ノック。果てしない走り込み。昼休みのグラウンド整備。 そして、高野連が叫ぶ「高校生らしい姿」で白球に青春を込めた親友たちは当然のように修学旅行不参加。今はどうか知らないが夏休み中に修学旅行に行っていた当時は、「夏の大会と重なるから」という理由で球児は夏の想い出を作らせてもらえなかった。修学旅行も行かず、坊主頭で倒れるまで走る17歳のどこが高校生らしいのか。当時一世を風靡した眉毛のない倉吉北高生の方が、よっぽど「らしい」と思うのだが。 青春の紫、ファンタグレープを飲んで修学旅行の夜を思い出した。自由行動で六本木に出かけた田舎っぺ軍団は、なぜか八百屋の店先でやはりファンタグレープを飲んでいた。店内にあるテレビがNHK7時のニュースで早実の荒木と横浜の愛甲の活躍を伝えていた。親友の野球部主将、三好くんの顔が浮かんだ。「六本木でへらへらしてごめんね」。 日本の夏、高校球児は修行僧となる。物欲を断ち色を断ち、全てを白球にかける。だからみんなで応援する。他の部活とは違う。さわやかだから応援するんじゃない、青春の汗に熱狂するんじゃない。国民は欲にまみれた垢を修行僧に清めてもらいたいのだ。 金属バットの音と共にファンタグレープを飲み干した。紙コップより瓶入りの方がうまいと思った。
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