89.修羅場(2002.10.14掲載)
テレビショッピングのオーディションを受けたことがある。まだ青き20代後半。日テレ本社にのこのこと出かけて行き、約30人のおばちゃん審査員の前で我が社の商品をアピールした。番組さながらのセットの中に立たされた私は10分間、採点表を手にしたおばちゃんたちを盛り上げることに全神経を集中したのだ。 しかし、しょせんは地味な食品。前のエントリーが宝飾メーカーだったことも災いして場はシラケ気味。「それって近所のスーパーでも売ってるじゃない」との突っ込みにうろたえ、「光らないものはつまらないわ」とのつぶやきにへこんだ。もちろん結果は落選。商品を手にした私がお茶の間をわかせることはなかった。 その5年後、熱海のホテルで和食の調理師にかつお節の栄養学をレクチャーするという荒行を押しつけられた。何の因果で釈迦に説法をしなきゃいけないのか。角刈り軍団はにこりともせず若造を睨み、針のむしろの20分間は、ため息が出るほどに長かった。胆力の限界を告げる背中の冷や汗が乾くのを待たず、ホテルを飛び出していた。 さらにその5年後、地元の三越百貨店地下食料品売り場で、だし取りの実演を行うという修行をしてしまった。エスカレーター付近で包丁やフードミキサーの実演販売をやっているが、あのパフォーマンスである。「奥さん、やっぱり煮物はだしですよ」とちびり声でトーク。開始直後は人影もなく、誰に対して「奥さん」と語ればいいのかわからない。いつもうろうろしている場所だけに吹っ切れるまでが大変の30分間だった。 修羅場三態。二度と御免の荒療治だが、一番の教材でもある。 苦しかった部活の夏合宿を思い出し、「あの修羅場を思えばこんなの楽だ」と体力の限界を超えられることがある。 校内暴力で荒れた修羅場中学時代を思い出し、「ま、こんなこともある」と土壇場でプラス思考に転換できることがある。 そんな修羅場の数ほど、人は大きくなれるのである。
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