1051.日本人の食生活 前編(2022.1.3掲載)
新年を寿ぎ、日本人の食生活を太古から総括してみた。 「旧石器時代」…約10万年前〜約1万5千年前 日本では約10万年前の遺跡から人類の痕跡が見つかっていて、人口2600人くらいだったと推測される。食糧はシカ、イノシシ、ウサギ、キノコ、昆虫等。狩猟も採取も食事も命がけだった。 「縄文時代」…約1万5千年前〜約2300年前 豊かな日本の自然は、25万人前後の縄文人を養う素材を常備していた。そして彼らは火を使うことを習得し、栄養に変えた。アサリ、ハマグリ、カキ、シジミ。天然の魚介類は今と同じ味だったに違いなく、相対的に贅沢品。 「弥生時代」…約2300年前〜約1750年前 農耕による食糧増産で、人口は60万人に急増。主食はイネ、クリ、ヒエ、ムギ、豆の五穀。モモやアンズ、カキなどの果実の栽培も始まっていた。また、中国から醤油や味噌の元祖である「ひしお」が伝来したのもこの頃。 「古墳時代」…270年〜592年 この時代の人口を予想する史料は見つかっていない。稲作が本格的に定着して階級分離が明確になり、支配者は年貢米を主食にした。そして、アワ、ヒエなどの雑穀を主食とする農民との食の二分化が起こった。 「飛鳥時代」…592年〜710年 この時代も人口は不明だが、塩、酒、酢、ひしおという調味料が揃い、貴族の主食は精米、副食は牛乳やチーズ、アワビにエビ、アユという贅沢メニューで成人病もちらほら。庶民は玄米にワカメ汁、シカ肉や川魚の一汁一菜。 「奈良時代」…710年〜784年 人口は440〜450万人に急増。仏教思想から肉を食べなくなり、平均身長が低下してしまった。遣唐使の影響で「焼き煎餅」や「春の七草」の食習慣が伝来した。また、この頃、お茶や砂糖はクスリだった。 「平安時代」…784年〜1185年 人口は500〜600万人。庶民も貴族も1日2食。貴族になりたかった平氏が貴族の食生活をまねて没落。野武士軍団源氏は、タンパク質とカルシウムをしっかり摂取。カツオの煮汁である「鰹煎汁(かつおいろり)」も普及した。
\\\\
|
column menu
|