1052.日本人の食生活 後編(2022.1.10掲載)
前号では旧石器時代から平安時代まで総括したが、今号は鎌倉時代から昭和まで。 「鎌倉時代」…1185年〜1333年 鎌倉時代の人口は約750万人。平家が真似をして没落のきっかけとなった貴族の食事は白米と野菜が中心。栄養が偏り、脚気や生活習慣病を患い短命だった。対して武士はタンパク質とミネラルを摂取して野を駆け、長生きした。 「室町時代」…1336年〜1573年 室町時代の人口は約820万人。この時代の生活様式が現代の基礎とされており、1日3食が定着。室町時代中期には液状の醤油が完成し、かつお節や昆布のだしを取るようになった。公家は酒浸りでアル中が多かったが。 「安土桃山時代」…1573〜1603年 1600年頃の人口は約1200万人。ポルトガル人やスペイン人によってスイカやトマト、カボチャ、唐辛子、ジャガイモなどがもたらされた。南蛮料理は天ぷらや豚肉料理、南蛮菓子は金平糖やカステラ。南蛮タバコも流行った。 「江戸時代」…1603年〜1868年 1700年の人口が2830万人、1830年の人口が3248万人。そのうち江戸には100万人。55万人のパリ、46万人のロンドンを引き離して世界一の過密都市だった。過密で長屋が狭いから正月の餅つきは外部委託。だから、効率を求めて「のし餅」をカットした角餅が江戸の主流となった。 「明治時代」…1868年〜1912年 人口3500万人。文明開化とともに食も西洋化し牛鍋やすき焼きが出現したが、一部の上流階級しか食べられなかった。一般家庭はご飯と味噌汁に漬物、煮物だったが、アンパンが庶民の間に広がった。 「大正時代」…1912年〜1926年 人口は初期が5200万人で後期が6000万人。庶民に「大正の三大洋食」として流行ったのは、カレー、コロッケ、とんかつ。「今日もコロッケ〜 明日もコロッケ〜」と口ずさむ祖母。1923年の関東大震災で大学校門の下敷きになって命からがら逃げのびた祖父は、どこで祖母と知り合ったのだろう。 「昭和時代」…1926年〜1989年 人口は1930年が6445万人、終戦時7200万人で現在1億2458万人。太平洋戦争前後は極度の食糧難で、穀物を粉にして水で練って汁物に入れた「すいとん」で空腹をしのいだ。栄養失調の人が普通にいた時代だった。
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