141.部屋から木が生えていた(2003.10.27掲載)
和風ダイニングブームで、新しい家具や柱を黒光りさせて古く見せる加工屋さんが大いそがしだという。アンティークフィニッシュとか、エイジングとか呼ばれる手法らしいが、京都桂離宮の再建では、屋根裏にたまった400年前のホコリを硫酸と共に柱に塗り込み、失われた時を取り戻した。 街に出ると、そんなアンティークフィニッシュで小ぎれいにまとめた、ポストモダンの食べ物屋さんが大にぎわいである。味のレベルは総じて低いが、「隠れ家的」「和のおもてなし」などのコピーにつられた若者たちが、「なんかほっとするねー」とか「なつかしいー」などのふざけたセリフを吐いて浮かれている。 私はちっともなつかしくなんかない。 ひなびたレトロ調の家具や、たそがれた古障子なんかに囲まれると、昔の貧乏時代を思い出して悲しく、苦しくなってしまう。 先日、昭和40年代を過ごした生家を取り壊すということで、20年ぶりにその最後の勇姿を拝みに行った。よく、懐かしの場所に立ち「この通り、こんなに狭かったっけ」とか、「大きくて怖かった庭の池がすごく小さくて、びっくりした」などと自らの成長を重ねるコメントを口にする人がいるが、現実は違っていた。 「私は、こんな粗末な家に住んでいたのか」 それが素直な感想だった。 ロバのパンのテーマソングが「チンカラリンロン」とこだました暗い路地裏。 スポンジでできた目張りですきま風を防いだ斜め障子。 北東の角までギシギシ廊下を夜ごとホラーな冒険行だったおばけトイレ。 想い出は時に美化され記憶の中ではポストモダン的輝きを放っているが、現実は、暗い土壁とぎりぎりの暮らしばかりが目について、泣けてきた。とにかく悲しかった。 アンティークフィニッシュ加工で内装をリアルに再現するんだったら、こんなしみったれた背景も復刻せよ、というのではない。レトロブームに水を差すつもりで愚痴っているのでもない。隠れ家で浮かれる若人たちがうらやましいのかもしれない。しかし、とにかく、昭和はすごかったんだ。 こんな風にセンチメンタルしていたら、居合わせた友人がつぶやいた。 「そんなのましだよ、ウチは部屋から木が生えてたんだから」
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