162.料理と手紙(2004.3.29掲載)
加工食品のこだわりを追求すると、行き着く先は料理人の味ということになるのだろうか。家にいながら料亭気分、レトルトなのにできたて感。現実は厳しいが、せめてイメージだけでもそうありたいというメーカーの思いからか、「鉄人おすすめ」「○○シェフ監修」などのコピーが巷に氾濫している。そして、ビッグネームの料理人になると、法外な顧問料がそこに発生する。 しかし、元来メーカーと料理人は相性が悪いのだ。求める道は絶対に交わらない。交わるはずがない。 料理人は、金に糸目を付けずレアな食材を探す。 メーカーは、低価格で安定供給できる原料を探す。 料理人は、手間ひまかけてじっくり調理する。 メーカーは、効率と歩留りを追求して加工する。 料理人は、できたてを提供する。できればカウンターで。 メーカーは、殺菌して出荷する。できれば賞味期間1年で。 つまり、料理と加工食品は対極にあるものなのだ。目の前にいる人に炊きたてのあつあつご飯を出せば、たいてい「うまい」と言ってくれるが、全国津々浦々に何万という数の加工食品を送り出すからには、「まずい」という叱責も覚悟しなければならない。 これは、手紙と小説の関係に似ている。 気持ちに糸目を付けず、レアな思いを切に伝える手紙。 無理な切り売りはせず、取材ネタを小出しにする小説。 時間をかけ、特定の相手を想いながら訥々と綴る手紙。 無駄を避け、不特定の相手にメッセージを伝える小説。 翌日読むと恥ずかしくなる手紙。 何年たっても鑑賞に耐える小説。 加工食品も小説も「マスマーケティングなくして成功なし」と言われる今日、せめて開発担当者くらいは、料理や手紙に込めるような熱い思いを新商品に注ぎたいと思うのである。
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