175.あいまい(2004.6.28掲載)
雪印事件に端を発した食の安全に関する過剰反応は、狂牛病問題や産地偽装問題を経てさらに過熱。そして、違法添加物、中国野菜農薬事件の追い打ちで完全にヒートアップしてしまった。 「だしの素に配合している乳糖を作るための牛乳を搾った牛を飼育する際のエサとなる飼料は遺伝子組み換え品か?」 こんな寿限無な問い合わせがふつうに来るようになってしまった。本気で聞いているのか。遺伝子組み換え飼料で飼育した牛から搾った牛乳から作った乳糖を配合しただしの素は、やっぱり使いたくないのか。 元来、食はあいまいである。幼時、くじら肉を牛肉だと思い込まされて食べていたやつが私のまわりには何人もいるし、今なら食品衛生法で引っかかってしまうロバのパンも、チンカラリンロンへっちゃらだった。うんちくよりまんぷく。こだわりよりあいまい。 あいまいといえば、先日テレビで「洋服、魚、缶ジュース、家、タバコ、切符、クルマ。買い物と言えるのは、どの商品を買う場合か」という街角アンケートを実施していた。その回答は十人十色。「自販機から買う場合は買い物と言わない」「自分一人の意志で決定できない場合は買い物ではない」「迷った末に購入する場合を買い物という」など、さまざまな意見が出ていた。「買い物」というスタンダードな単語にしてかなりあいまい。 日本はあいまいな国なのだ。あいまいな世界に無理やり厳密さを押し込むと、あいまいさを排除したコンピュータ言語を無理やり自然言語に置き換えた、あの文章のような不自然さが発生してしまうのだ。 「このプログラムは不正な処理が行われましたので強制的に終了します」 熱く語りすぎましたので本稿も終了します。
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