194.いちじくのある風景(2004.11.13掲載)
今年はいちじくが豊作だったらしく、スーパーの青果コーナーに行くと大玉5個で250円前後と、例年より少し安い価格で売られていた。だから私もよく食べた。1日に1個ずつ熟す一熟(いちじゅく)を毎日1個ずつ食べた。 アラビア南部で紀元前3000年頃に栽培が始まったとされるいちじくは、1630年長崎に渡来。以後、その栽培のしやすさから全国に普及し、ついこの間まで各家庭の庭先に必ず1、2本はある果物だった。 小学校時代、実家の前が集団登校の集合場所になっていた関係で、庭に実るいちじくは大人気だった。もぎたての証である白い汁を制服に付けながら、悪ガキたちはいちじくを手に学校を目指した。 庭先からいちじくを失敬して集団登校。こんな「サザエさん」でも見かけなくなった昭和のひとコマであるが、実はこの風景にはナチスドイツが深く関わっている。それは、集団登校風景の基盤となる校区制を考案したのがナチスだから。天才的発明といわれる校区制は、全くコストをかけず、同じレベルで画一的な人材を作り出すことができる画期的システムなのだ。 例えばある学校が音楽教育に注力したとする。すると必ず音楽の苦手な生徒の親からクレームが来る。「私たちは学校を選べないのだから、勝手な方針変更は困る」と。国語教育に注力したとしても同じ事。つまり、校区制下ではPTAが勝手に学校を監視してくれて、画一的教育環境が保たれるのである。 個性的教育が叫ばれ、私立学校が台頭し、校区制が消滅しつつある今日であるが、かつての高度経済成長を支えた画一的人材作りに校区制が貢献したことは紛れもない事実である。自動車、電器製品など大量生産型産業には一人の天才より多数のステレオタイプ人間が必要だったのだ。 ん?けど、今の好況産業も自動車や電器製品ではないか。ならば校区制をもう一度見直すべきではないのか。集団登校も捨てたものじゃないぞ。 いちじくを食べながら、遠い日の登校風景に思いを馳せたのであった。
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