232.食育について(2005.8.22掲載)
コンビニチェーンのヤマザキグループが「弁当で食育推進」と銘打って、農林水産省・厚生労働省発表の「食事バランスガイド」に沿った「バランス弁当」シリーズを発売した。商品に添付されたラベルには、1日あたりの食事の望ましい組み合わせと、おおよその量がイラストで示されていて、健康に気を遣う消費者が思わず手に取る商品設計になっている。 しかし、「食育」は少し大げさではないか。食育の進め方にはいろいろな方法があるが、私は個々の食事ではなく、「食の有り様」こそが食育の本筋ではないかと思う。そういう意味ではバランス弁当を展開するより、弁当廃棄のチェック回数を1日3回から9回に増やし、無駄な廃棄を減らしたセブンイレブンの取り組みの方が、より食育に近いと思う。 なにせ、日本の残飯は年間11兆円にもなるのだから。 ところで、この時期よく放送される戦時下を舞台にしたドラマを見ていると、食育の原点のようなネタがいくつもちりばめられていることに気づく。 夕飯時、数少ないおかずを兄弟で分け合うシーン。学校の教室で、籠で編んだ弁当箱が恥ずかしくて隠しながら食べるシーン。着物を食糧に換えに行った農家の軒先で、百姓に安く叩かれるシーン。変わり種では、和紙をこんにゃくのりで接着し、直径10メートルほどの風船爆弾を作るシーン、等々。 GHQにアメリカ民主主義を押しつけられる前の、哀しくも楽しい日本の食卓にこそ食育の原点があるのではないか。こんなシーンを見るだけで「もったいない」という心が育ち、いただきますの精神が育まれるのではないか。 フレンチの達人三国清三氏も語っていた。「小学校時代、家が貧乏で弁当におかずがなく、グラウンドで隠れて食べた。食い物の恨みつらみが僕を料理人にした」と。 人の職業を決めてしまう食事がある。 また、ホームヘルパーで食に関わる知人からこんな話を聞いたことがある。 「一人暮らしのお年寄りに何が食べたいか尋ねると、意外にも8割の方が『カレーが食べたい』と言います。カレーは団らんの象徴なのかもしれません」 老いてなお食べたき団らん食がある。 食育は食の有り様なのである。
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