247.缶詰バー(2005.12.05掲載)
大阪の知人から、「缶詰バー」なる飲食店の存在を教えてもらった。酸素バーやミネラルウォーターバーは見かけたことがあったが、缶詰バーは想定外だ。 大阪は南堀江にある缶詰バー「kanso(カンソ)」に行くと、棚に200種類ほどの缶詰がぎっしり並んでいて、好みの商品を飲料と一緒に精算してテーブルでつまむのだそうだ。なんだ、田舎の酒販店でよく見かける光景じゃないか。 酒屋の立ち飲みと少し違うのは、若い女性客がけっこう多いということ。単なる郷愁レトロではなく、世の中に元気があった高度経済成長期の匂いをおっさん連中と一緒に体感しているのかもしれない。 先日見た映画、「ALWAYS 三丁目の夕日」の観客もそうだった。なつかしさに涙するおっさんの隣で、20代とおぼしき女性たちが明るい未来を夢見た昭和の空気を吸っていた。貧しくも明るい希望の日々が、「缶詰バー」と「三丁目の夕日」の共通点なのか。 しかし、生誕200年の缶詰の歴史は軍事食の歴史。そんなに明るくはない。 缶詰誕生のきっかけは、ナポレオンの遠征。1804年にフランス政府が公募した「日持ちする兵食コンテスト」の当選作品が缶詰だったのだ。発明者ニコラ・アベールは、懸賞金12000フランを元手に缶詰工場を立ち上げた。 その後、アメリカ南北戦争で発展し、日本に輸入された1871年以降は、日清、日露、そして大東亜戦争で活躍するのだ。 平和な時代になってからも需要は増え続けるが、1980年の生産量120万トンをピークに下降の一途をたどり、2003年は45万トン。 やはり、明日の見えない時代には不似合いな商品なのかもしれない。 ノザキのコンビーフをつまみながら、もう一度「三丁目の夕日」を見てみようと思った。
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