255.カニカマと普茶料理(2006.2.6掲載)
エチゼンクラゲの異常発生も一段落した今日この頃であるが、今から33年前の昭和48年、逆にクラゲが不漁で、中国からの食材クラゲの輸入がストップするという事件があった。 この時、人工クラゲの研究に着手した食品メーカーがあった。石川県の「株式会社スギヨ」である。中華食材としての新商品を目論んだ人工クラゲ研究であったが、できあがったサンプルはクラゲの食感からはほど遠く、失敗の連続。 しかし、その後この失敗が同社に利益をもたらすことになる。クラゲのつもりで作ったサンプルが、試食会で「カニ肉にそっくり」との評価を受け、ご存じ「カニカマ」の誕生となったのだ。 コピー食品の帝王であるカニカマは、カップラーメン、レトルトカレーと並んで戦後の加工食品3大発明と言われているが、なぜかスギヨは特許を申請しなかった。今や世界中で食されるカニカマだけに、儲け損なった額は大きいに違いない。 コピー食品といえば、先日、日本におけるコピー食品の元祖のような料理を味わう機会があった。宇治市にある黄檗山萬福寺の「普茶(ふちゃ)料理」である。普茶料理とは、遊び心のある精進料理といった感じで、1654年に中国から渡来した隠元禅師によってもたらされた。肉や魚が食べられないストレスをイミテーションでカバー。例えば、裏ごし豆腐、すりおろしゴボウ、焼きのりなどでウナギの蒲焼もどきを作っていて、これがけっこうおいしい。他に、牛肉のしぐれ煮もどき、かまぼこもどきなどが豆腐、麩、野菜を原料に作られていた。 精進料理にしびれを切らした人が、350年前にいたわけだ。 精進料理は、豆腐、納豆、ゆば、のり、こんにゃくを日本の食卓にもたらした。そして、普茶料理は、カニカマを作る遊び心を日本の食品開発者に植え付けたのである。
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