256.ホーローの松山さん(2006.2.13掲載)
実は、わが実家の納戸にボンカレーのホーロー看板が眠っている。しかも、ボンカレーのレトルト袋がまだ透明だった1968年頃の初期型で、オークションにかければ20万円前後の値が付くらしい。 もちろん投機目的で温存していたわけではなく、今から25年ほど前、近所の八百屋が改築する際、ゴミに出していたのを父が拾ってきて捨てられずにいただけである。というのも、ホーロー看板のモデルである松山容子さんが父と同じ高校の出身であり(私も同じ)、捨てるのはしのびないと持ち続けた結果の20万円なのだ。 水原弘さんのアースと並んでレトロネタにされる松山容子さんのホーロー看板であるが、当時は大塚食品営業活動の輝ける軌跡ともいえるランドマークだった。 なにせ世界初のレトルト食品。かけそば1杯が60円の時代に1個80円のボンカレーは今ひとつ反応が鈍く、問屋筋もなかなか扱ってくれない。そこで大塚の営業マンは町の小さな八百屋、肉屋、乾物屋を訪問し、ボンカレーを置いて回った。そして、商談成立の証としてホーロー看板を打ち付けたのだ。その数9万5千枚。 ホーロー旅を重ねた結果が実を結び、発売から5年後の昭和48年に年間1億食を突破。平成元年までの累計は43億食にも達した。まさに、昭和を代表する加工食品である。 レトルトカレーをホーロー看板とともに全国に拡げた大塚マンの意地は、その後、カロリーメイトやポカリスエットの営業に受け継がれ、オンリーワン商品を育てていった。 レトルト食品2500億円市場の起点として、あらためてホーロー看板を拝み、そっと納戸の戸を閉めたのであった。
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