267.東京で豚肉を喰らう(2006.5.1掲載)
先日、東京は五反田で激ウマの豚肉料理を食べた。無菌豚の生ベーコンやしゃぶしゃぶ。JAかごしまが鹿児島市内で展開する黒豚専門店「華蓮」をぶっちぎる、極上の旨味だった。 店名は「日南」。昨年5月にテレビ東京の「アド街ック天国」でも紹介された繁盛店だけにいつも満席で、芸能人のファンも多いらしい。 豚肉といえば東京である。1世帯で年間20kgも豚を食べる沖縄にはかなわないが、ランチで豚生姜焼きが出ない喫茶店はまずないし、肉じゃがもカレーも豚肉派が主流。ていうか、東京で肉といえば豚肉のことを指し、牛肉はわざわざ「牛」と呼んで区別する。と、知人の江戸っ子が語ってくれた。 では、なぜ東京に豚肉文化が定着したのか。 諸説あるが、幕末の偉人が豚肉好きだったという説がおもしろい。 15代将軍徳川慶喜は大の豚肉好きで、小麦粉と溶き卵を付けて焼くポークピカタなんかも食べた。また、新撰組の近藤勇局長は、屯所の生ゴミをエサに豚肉を飼い、スタミナ源としていた(その後、壬生の屯所から江戸に持ち込んだ)。両名とも官軍じゃないところが少々気になるが、牛肉の15倍も含まれるビタミンB1の効果で、尊皇攘夷の踏ん張りが効いたのかもしれない。 庶民も豚肉を食べていた。和歌山の下級武士で、1860年ごろ江戸に詰めていた酒井伴四郎の日記にこうある。 「大通りにて『ふた』を買い、また山下御内の辺りにて『うぐい』の生切身を試に一切れ買い帰り」 酒井伴四郎は、他に永代橋で「永代餅」を食べたり、京橋で「かしわ鍋」や「蛤鍋」を食べたりしている。 いつの時代にも、食い意地の張ったお上りさんがいるものだ。 伴四郎さんに親しみを感じる出張帰りなのであった。
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