290.触媒コロッケ(2006.10.16掲載)
先日、旧友と飛び込みで入った恵比寿のお好み焼き屋「RYO」がよかった。1970年に自由が丘で創業した店らしいのだが、当時の木造家屋をそのまま恵比寿駅前に再現。おしゃれな「アトレ恵比寿」前通りに忽然と現れた「昭和」に、ふらふら吸い寄せられたのだった。 小洒落た作為的アンティークフィニッシュではなく、ホンモノの70年代に囲まれたおかげで幼時の爆笑ネタ満載の楽しい夜になった。やはり、懐かしトークには、とっておきの触媒が必要なのだ。 …夕食にコロッケが出てくると、無口な祖父が饒舌になったように。 わが実家の祖父は、コロッケを肴に大正時代の話をよくしてくれた。食費が月30円だったこと、着物にゲタ履きで大学に通っていたこと、その東京電気大学で関東大震災に遭遇し、校門の下敷きになったこと、等々。 なぜコロッケが大正なのかよくわからなかったが、調べてみると、大正6年に「コロッケの唄」というのが大流行し、日本中にコロッケが広まったというのだ。 「今日もコロッケ〜 明日もコロッケ〜 これじゃ年がら年中コロッケ〜」 そういや、コロッケの食卓で祖父の鼻歌を聞いたことがあった。 コロッケは、ホワイトソースで作るフランス料理の「クロケット」を日本風にアレンジしたもので、日本独自のジャガイモコロッケとして大正時代に庶民の味になった。同時期に、カレーライスやトンカツも和風にアレンジされて全国に広まった。文明開化の洋食が、純和風の食卓に溶け込んでいったのだ。 この和洋折衷の成果である、カレーライス、トンカツ、コロッケは、当時「三大洋食」と呼ばれ、大正のちゃぶ台に鎮座した。いまだに人気メニューであるこれら三大洋食は、間違いなく時代をつなぐ食文化になった。 昭和の木造家屋もコロッケも、生活に染みこんでいたからこそ時代を超えられる触媒になったのだと思う。 語りたい夜には、とっておき触媒の準備をおすすめします。
|
column menu
|