292.祭りのあとさき(2006.10.30掲載)
我がふるさとの秋祭りが終わった。 土曜日と重なった今年は参加者も多く、「和一緒」というわっしょいの語源通り、おらが町が一体となったいいお祭りだった。が、それだけに祭りのあとの虚脱感もまた大きかった。 体験した人にしかわからないであろう、お祭り前後の高揚感と虚脱感。これを見事に盛り込んだ歌を、かぐや姫と吉田拓郎が同じ昭和47年に各々リリースしている (以下一部抜粋)。 「ひとりきり(2番)」byかぐや姫 太鼓が響き 御輿がくり出し いよいよ待ちに待ったお祭りだ 親戚が集まり 酒を飲んで 今年は豊年だ 「祭りのあと」by吉田拓郎 祭りのあとの淋しさが いやでもやってくるのなら 祭りのあとの淋しさは たとえば女でまぎらわし もう帰ろう もう帰ってしまおう 寝静まった街を抜けて どちらも心に染みるいい歌だ。 とところで、元来秋祭りは収穫を感謝し、稲作の労を互いにねぎらうためのものであるが、世界に目を向けると感謝したりねぎらったりするだけでは間に合わないほどに食糧事情が逼迫している。米を主食とするアジア諸国のためにも、収穫量を上げるイネの品種改良が急務なのだ。 そんな昨今、理化学研究所が「コシヒカリ」の収穫量を20%UPさせる品種改良に成功した。味は申し分ないが草丈が高く、実るコメの粒数が少ない「コシヒカリ」と、草丈が低く、実る粒数は多いがおいしくない「ハバタキ」という品種を掛け合わせたのだ。品種名を「イイトコドリ」としたいくらいの成功例である。 イネ研究者の努力が実を結び、世界の食糧危機を救う日が来ることを願う。そしてその時、研究者たちは神に感謝し、互いの労をねぎらうのである。 わっしょい秋祭りのように、はしゃぐのである。
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