334.星野君の二塁打(2007.9.3掲載)
特待生問題で揺れた夏の甲子園大会が審判の判官贔屓という火種を残して幕を閉じたが、この季節、「高校野球は教育か競技か」という議論が起こるたびに思い出す小説がある。それは、小学校1年生の時、道徳の教科書に掲載されていた「星野君の二塁打」。 同点の9回1死1塁で打順が回ってきた星野君は、監督の送りバントのサインを無視してヒッティング。見事2塁打を放ち1塁ランナー生還で勝利に貢献したのだが、サインを無視したことを監督から強く叱責され、その後レギュラーを外されるというストーリー。 さて、星野君の行動は許されるのか否か。団体競技なのだから、いくら結果がよくてもサイン無視は厳罰、という話を担任の森先生がしていたような気がする。38年前はそういう時代だったのかもしれないが、それにしても、小1には難しすぎる命題である。 この教材は現代の道徳教育でも使われていて、監督支持派と星野君支持派でディベートを行う授業内容らしい。とにかく、正解はない。 商品開発も正解のない課題の連続である。濃い味がいいのか薄味がいいのか。だしはかつお節がいいのか煮干しがいいのか。1人前か2人前か。パッケージは赤か青か。どれも発売してみないとわからない。わからないから決められない。決められないから決めるとかっこいい。よって、職場では意思決定をする人が主役なのだ。 ということは、上司の指示を無視して勝手に配合を決めた新商品がヒットしても、開発部の星野君は絶対に干されない。結果が全てのこの世界、逆に上司も喜ぶ。つまり、星野君の二塁打は意思決定の結果なのである。 もう1つ、正解のない野球ネタがある。5点差をつけられて最終回の攻撃もランナー1塁ながらすでに2死。ほぼ負けが確定している状況で代打を送るとしたら、練習はよくさぼるが代打成功率7割のヤンキースラッガーか、毎日遅くまで人の何倍も練習するのに成績が伸びないメガネ君か…。 これは、就職試験でよく出される問題で、どういうタイプの社会人になるかを見極める性格判断テストのようなもの。 まあ、いろいろな場面で使われるのだから、賛否両論あるにせよ、高校野球の教育的意味はかなり深いということに違いないのである。
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