366.フォッサマグナの都合(2008.04.21掲載)
本稿第199号(2004年12月20日発行)の「みんなの都合」で、東西食文化の分かれ目は関ヶ原であり、家康と秀吉がにらみ合った「大将の都合」が食文化の形成につながったと書かせてもらった。 しかし、この持論をはるかに凌ぐ仮説を、新潟女子短大名誉教授の本間先生が講演されていた。「東西の文化は縄文人と弥生人がせめぎ合った結果、フォッサマグナで分かれた」というものである。フォッサマグナは中部地方で本州を横断する大地溝帯で、地質学の世界では東北日本と西南日本の境目とされている。なぜフォッサマグマなのかは不明だが、土着の縄文人が九州に上陸した渡来の弥生人に押されつつも、フォッサマグナあたりで踏ん張ったという説である。 本間先生が挙げた東西の事例を紹介する。 東のコゴミ西のツクシ…コゴミはクサソテツという山菜の若葉で、東日本でしか食べないらしい。確かに筆者も知らない。逆に東京で「好物はツクシ」と言ったら引かれた。 東の豚肉西の牛肉…これはよく知られる地域性。武士が多い東日本には馬も多く、牛に慣れた農民が多い西日本と違って牛を飼う余裕がなかった。よって、飼いやすい豚が増え、豚肉嗜好になったらしい。 東の鮭西の鰤…正月のご馳走として食べる魚の違い。鰤文化圏で育った筆者は、上野アメ横で売り買いされる新巻鮭が師走の風物詩であることに違和感があった。 東のなす西のなすび…ついでに東のかぶ西のかぶら。なすびって標準語じゃなかったの? 東のいます西のおります…「私はここにいます」という言い方も東西で異なる。私はおります派です。 東の4秒西の2秒…これは、ゲンジボタルの点滅間隔の違い。つまり、西のホタルの方がせっかち。ヒトもそんな感じだが、弥生人の影響かフォッサマグナの影響か。 さまざまな東西文化がフォッサマグナで線引きされるのは実に不思議である。ホタルの瞬きにまで影響を及ぼすのだから、地磁気やマグマのフォースが何かしら関与しているのではないかと思う。 ツクシの卵とじを頬張りながら、数千万年前の地質変動に思いを馳せるのである。
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